鎌倉散歩〜杉本寺〜 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

昨日は月に一度の検診日キラキラ
結果は現状維持♪

私はもともと赤血球が多い体質のようで、今回も基準値オーバータラー多血症とかではなく経過観察で良いみたいです。少し前まで血小板もオーバーしていましたが、現在は正常値になっております。
おかげさまで昔から貧血とは無縁で、妊娠中ですら大丈夫でした(^^;;

さてさて!検査終了後に香宮かんさん&南天さんと合流し、またまた鎌倉めぐりへルンルン

私とかんさんは先月2日違いで身内を亡くしており忌中となるため、今回は神社への参拝は控えお寺をめぐることにお願い

まずは鎌倉最古のお寺へチョコ


『大蔵山 杉本寺』
天台宗寺院
ご本尊 十一面観音
創建 天平6年(736)
開山 行基

坂東三十三箇所・鎌倉三十三箇所第1番札所
鎌倉地蔵尊霊場第4・6番


☆仁王像(運慶作)


☆苔の石段


☆観音堂

観音堂にはご本尊として3体の十一面観音立像があります。

十一面観音(右) 恵心僧都作 
十一面観音(中) 慈覚大師作
十一面観音(右) 行基菩薩作

奥まで入り、じっくりと拝観してまいりました。
特にご本尊はかなり雰囲気があり、3人で見惚れてしまいました。

本堂(観音堂)に入って正面の十一面観音様はお前立で、源頼朝の寄進、向かって左隣の新十一面観音様は昭和期の住職であった慈海僧正の作です。

ご本尊の他にも運慶作の地蔵菩薩様など、素晴らしい仏像が安置されていました。


☆熊野権現堂・白山権現堂


☆五輪塔群

〜杉本城の戦い〜

南北朝時代、南朝の北畠顕家は北朝の足利尊氏に対応するため東北から南下し、藤沢方面から鎌倉に攻め込入りました。奥州総大将の斯波家長は、鎌倉の足利義詮(足利尊氏の嫡男)を守るため、これを迎え撃ちますが次々と破られ、この杉本城で防戦するも斯波家長を含む300人以上が討死し、足利義詮は三浦に逃れます。この五輪塔群はその名残なのだそうです。


☆七地蔵尊


☆鐘楼

杉本寺は天平3年(731)、東国の旅をしていた行基が、自ら彫った十一面観音を安置したのが始まりとされます。

その後天平6年(734)、観音菩薩のお告げにより光明皇后が東国の治安の安定を願い、右大臣の藤原房前と行基に本堂を建立させたといわれます。

仁寿元年(851)に円仁(慈覚大師)がこちらに参籠して十一面観世音を刻み安置。

寛和二年(986)、源信(恵心僧都)が花山法皇の命により十一面観世音を刻み安置。

文治5年のある日の夜、隣屋より火災が起こり、ご本尊三体は大杉の下に火を避けられたので、それ以来「杉の本の観音」と呼ばれたと伝わります。鎌倉時代には大蔵観音という名称でしたが、現在は杉本観音と呼ばれています。



ちなみに。。。
杉本寺がある大倉山には、かつて「杉本城」が建てられていました。六浦路に沿ったこの地は、六浦の港に向かう道を押さえる要衝であったため、三浦氏一族の杉本義宗(三浦大介義明の嫡子、子はのち鎌倉幕府の侍所別当となった和田義盛)が拠点としました。


☆大蔵弁財天

行基作の仏像は「下馬観音」とよばれています。

かつて馬に乗ったまま杉本寺の門前を通ろうとすると必ず落馬したそうで、まかつて馬に乗ったまま杉本寺の門前を通ろうとすると必ず落馬したが、蘭渓道隆が行基作の像の顔を袈裟で覆ったところ、落馬する者はいなくなったといいます。


杉本寺は私のご先祖の三浦氏とかなり深いご縁があったんですね〜お詣りができて感動です!

そして昨日の私の記事は棟方志功の光明妃についてでしたが、なんとその光明妃のゆかりのお寺でもあったんです。なんか色々とつながってるね〜なんて話していました。


今回またもご朱印帳を忘れるという…
で、こちらの般若心経がデザインされたご朱印帳を拝受いたしました。

これは鎌倉専用にしたいと思いますむらさき音符



☆御朱印

かんさん&南天さんをパチリキラキラ




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