補陀洛山寺と補陀落渡海 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

熊野には『補陀洛山寺(ふだらくさんじ)』という天台宗の寺院があります。

補陀洛とはサンスクリット語で観音浄土を意味するポータラカの音訳です。

境内はユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部になっています。

写真はお借りしたものです

ご本尊は「三貌十一面千手千眼観音」
仁徳天皇の治世に、インドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたと伝わります。

こちらの寺院は「補陀落渡海」で知られています。

補陀落渡海とは
平安時代〜江戸時代にかけて、人々が観音浄土である補陀洛山へと那智の浜から船出するという宗教儀礼です。
 
この頃の日本では、南洋上のはるか彼方に「補陀洛」があると信じられており、全国各地から40件を超える補陀落渡海が行われ、その内の25件がこの補陀洛山寺から出発しています。

一言で言うなら「即身仏」を目指した、ということでしょうか。

そもそも熊野という地は、日本書紀にイザナミが熊野に葬られたという記述があるのと、大国主命を補佐していた少名彦命が旅立った常世の国というのが熊野であることから
根の国・黄泉の国・常世の国
と言われ、それは死後の世界を意味しているんですね。

補陀落渡海が行われたのは旧暦の11月。
補陀落へ赴く人は渡海船に乗せられ、綱切島の近くで文字通り綱を切られた後、朽ちたり沈んだりするまで漂流します。その前に餓死や衰弱死した例も数多くあったと思われます。
ですが渡海者の最期を見た人は誰もおらず、その様子ももちろん記録に残されていません。

写真はお借りしたものです

写真は渡海船の模型です。
船上に造られた屋形には扉が無く、屋形に人が入ると出入り口に板がはめ込まれ、外からから釘が打たれ固定されます。
屋形の四方には4つの鳥居が建っており、それぞれ発心門・修行門・菩薩門・涅槃門の死出の四門を表しているとされます。


最後に補陀落渡海のエピソードを2つご紹介いたします。

かつて補陀洛山寺の住職は、60歳頃になると退職し、近くの小さいお寺でおつとめします。さらに数年経過し65歳頃になると本当のご退職。
「さあ、ご住職!補陀洛へ!」
と渡海船へ乗せられ、嫌がろうものなら縄で縛り付けられ、外から釘で出入り口を打ち付けられ、帰らぬ旅へといわば強制的に船出されられました。

那智山宮曼荼羅

またこんな話もあります。
16世紀後半、金光坊という僧が渡海に出たものの、途中で屋形から脱出して付近の島に上陸しました。しかしたちまち役人に捕らえられて海に投げ込まれました。
後にその島は「金光坊島(こんこぶじま)」とよばれるようになり、この事件を機に補陀落渡海は公的に禁止され、補陀洛山寺の住職が亡くなると、遺体を船に乗せて水葬するという形に改められました。

………

ひどすぎるガーン



ゆだぽん主催イベント『第3回神人和楽』

8月24日(土)に開催いたします!

第3回神人和楽 クリックね☆



個人鑑定も随時受付しております

オーラ鑑定

西洋占星術鑑定



毎週木曜日は占いサロン「青琴会」にいます

青琴会HP







人気ブログランキング