実はお盆に宮城の叔父の家に行った際に、ご先祖ルーツに関して新たに判明したことがあるんです♪叔父は86歳で家督でしたから、そういうことは母よりもかなり詳しいです。
曽祖父の両親は亘理城(臥牛城)の近くで饅頭屋を営んでいた
ここまでは分かっていたことなのですが、ご先祖の菩提寺である「専念寺」が昔、火事で全焼してしまったため、お寺に保管してあった家系の記録が全て焼失し、分からなくなっていたとのこと。
もし残っていたら詳しいことが分かったと思うのですが、あるモノのおかげである程度判明したんです
それは叔父が出してきてくれた亘理町の郷土史。かなり分厚い本で上下巻に分かれており、字も細かくて全て読むのは難しい感じです。なんでも祖父の代からその郷土史の役員的なものをしており、叔父も継いでいるそうな。
見せてもらいましたが、この中から自分のご先祖が書かれているのを探すのは無理そう。。。
そうしたら本の1つのページが折られていたので見てみると、ご先祖のルーツの部分でした。
きそうさん(祖父)が熟読し、すぐに探せるように折ったものと思われます。あ、木村という部分です。
わりと昔までさかのぼれました。
ご先祖は「検断けんだん」という役職についていた模様。
木村喜太郎・喜平治親子が20年以上にわたり検断を勤めたとあります。
検断というのは
警察・治安維持・刑事裁判・に関わる行為・権限・職務を総称した語で、罪科と認定された行為について犯人の捜査と逮捕、その後の取調と裁判、判決の執行までの一貫したプロセスを指す。
Wikipedia
警察官と裁判官が一緒になったような、なんだか大変そうなお仕事ですね
それがどういう経緯で饅頭屋になったのか⁇
スイーツ大好きなご先祖がいたのでしょうか
菩提寺の専念寺には、曽祖父の1代前までのご先祖様たちのお墓が残されています。
ですが江戸時代のお墓が残っているのは大変珍しいです。
小学生の時にきそうさんとここにお墓まいりにきたのですが、赤い彼岸花がたくさん咲いていました。後日この時のことを「彼岸花」というタイトルで詩に書き、それが仙台野草園作詩コンクールで入賞した、という経験がございました。
ご興味のある方もない方もいらっしゃると思いますが、調べてみよう!という場合は、身内のお年寄りが少しでもお元気なうちに、お話を聞いておいた方が良いです。
代々その地に住んでいるお家でしたら、地元の郷土史を読んでみると、新しい発見があるかもしれませんね(^^)
記録を残しておき、後世の代へ伝えるって素敵だし大切なことだと感じております
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