貞明皇后と香椎宮 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

先月の古代史日和勉強会で、河村哲夫先生が「香椎宮」についてお話されていまして、その中で「貞明皇后」についても触れていらっしゃいました。以前からとても興味のある歴史上の女性のお一人だったので、今日は自分で調べたことも含めご紹介させていただきます(^^)

皆さん、貞明皇后と聞いても「誰?」とピンとこない方もいらっしゃると思います。
貞明皇后とは大正天皇のお妃、昭和天皇の母である女性です。


貞明皇后(九条節子)は、公爵であった九条道孝の四女として生まれました。母は側室の野間幾子です。

幼い頃、近郊の農家に里子に出され裸足で遊びまわり、とても逞しく育ったそうです。
彼女が極めて健康であったことが、病弱であった嘉仁親王(大正天皇)のお妃となる決め手になったようです。

明治33年、15歳で5歳年上の皇太子嘉仁親王とご成婚。
明治45年に明治天皇が崩御され、嘉仁親王の皇位継承に伴い皇后となられました。

これは意外と思われる方も多いでしょうが、大正天皇との夫婦仲はすこぶる良好で、後の昭和天皇をはじめとする皇子を4人儲け、一夫一婦制を確立。大正天皇がご病気の際には慣例を破って、自ら夫のお世話をされたといいます。 

またご幼少から孤独な環境でお育ちになった大正天皇にとっても、貞明皇后との結婚はとても嬉しい出来事だったようです。


貞明皇后は昭憲皇太后の後継者として、自ら養蚕に取り組み蚕糸・絹業を奨励。
ハンセン病患者の救済に尽くし、灯台守を支援したことでも知られます。

関東大震災では自ら被災地を慰問。当時では考えられないことでしたが、被災者に直接声をかけるなど、その行動力には目を見張るものがあったといいます。


大正天皇が崩御されると、皇太子であった裕仁親王の皇位継承、皇太子妃良子の立后にともない皇太后となります。

大正天皇の崩御後の貞明皇后は、午前と午後の1日2度を、大正天皇の遺影を安置した部屋で過ごし、まるで生ける人に仕えるようなご様子だったといいます。

昭和26年、貞明皇后(皇太后)は恒例の勤労奉仕団への挨拶を行うべく、その準備をしている時に狭心症の発作を起こし急逝。。。享年66。

学者たちより進講を受けていた昭和天皇は、一報を聞きしばらく言葉がなかったそうです。


以上その簡単な生涯をご紹介しましたが、貞明皇后は大正11年に神功皇后を祀った福岡県の香椎宮まで訪れ、大正天皇のご平癒を祈願されています。

平伏の時間は20分近くにおよんだといわれ、神功皇后の御霊と自分が一体になることを祈願する歌まで詠まれているとか。

これはすごいことで!

皇后が九州まで行啓されたのは歴史上2人目。1人目は約1650年前の、ズバリ神功皇后なんですね

貞明皇后は香椎宮に黄金灯籠一対を奉献されています。

※写真は全てお借りしたものです

貞明皇后とても愛に満ちて明るく、行動力に溢れた活発な女性とお見受けします。

近世の皇后では、明治天皇のお妃である昭憲皇太后がよく知られていますが、これを機に貞明皇后の素晴らしい事績も知っていただけたら良いな♪と記事を書いた次第です(^^)

長文になってしまいましたが最後までお読みくださりありがとうございました

あ、明後日の古代史日和勉強会では初のプレゼンターを務めさせていただきます

今回は会員限定企画ですが、まだ少しお席があるようですので、ご興味のある会員さんぜひぜひ♪

緊張もありますが楽しい勉強会になるといいなと思っております



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