6月25日(日)♬
邪馬台国の会の前に、御茶ノ水に鎮座するこちらの神社さんへ参拝しました(^^)
『太田姫稲荷神社』
ご祭神
宇迦之御魂神
菅原道真公 徳川家康公
室町時代中期、太田道灌の娘が天然痘(疱瘡)にかかり、生死の境をさまよいました。
小野篁にまつわる縁起により、京都の一口(いもあらい)稲荷神社が天然痘に霊験があると聞いた太田道灌が、娘の回復を祈願したところ、天然痘が治癒したといいます。
道灌はこのことに感謝し、長禄元年(1457)に一口稲荷神社を勧請して、江戸城内に稲荷神社を築きました。
また太田道灌の姫君ですが、このお社を深く信心して仕えるようになりました。
ある時にこちらの神様が白狐のお姿で現れて
「われこの城の鬼門を守るべし」
と託宣されたので、城内の鬼門に遷して“太田姫稲荷大明神”と称されるようになったそうです。
境内で狛犬さんたちを発見
下の狛犬さんは損傷が激しいようです。
☆神輿庫
今回気がつかずに見逃したのですが、境内社があったようです確認したつもりだったのになぁ⁇
以下の2枚の写真はお借りしたものです
☆金山神社
☆ご朱印?太田姫稲荷神社のご朱印は、どなたかいらっしゃる時は手書き対応もされているようですが、通常はセルフでスタンプを押すようです
迷いましたが…やめておきました
この後ですが、太田姫稲荷神社の元宮が御茶ノ水駅のすぐ近くにあると知り、行ってみることに
淡路坂へ到着♬
ちょうどここに神社があるはずなんだけど⁇
あれ〜ないよ
ん???
えっまさか、これなの⁉︎
なんと元宮は「木」でした
太田姫稲荷神社は総武線が開通するまではここにあったそうです
明治5年に村社となり、社名を太田姫稲荷神社とあらためた後、関東大震災で神社は焼失するも、ご神体は湯島天神に避難し無事でした。
その後の総武線拡張工事の際に現在地に遷座。
御茶ノ水駅臨時改札口脇に残されたこの椋の木には、元宮を示す木札と神札が貼られていました
ここで小野篁ゆかりの京都の一口稲荷神社の縁起をご紹介しておきます
絵巻物の伝承によれば、承和6年に小野篁が伯耆国の名和港を出港してまもなく、激しい嵐と雷に見舞われました。
海底に引き込まれそうになった小野篁は、衣冠を正して舟の舳先に座り、観音経を熱心に唱えました。
すると白髪の老翁が波の上に現れて
「貴方はとても才職に優れた人ですから、流罪になってもすぐに都へ呼び戻されるでしょう。ですが疱瘡(天然痘)を患えば命が危ない。私は太田姫の命です。わが像を常に祀れば疱瘡にかかることはないでしょう」
と告げるとかき消すように姿が消えたそうです。
お告げの通り、小野篁は翌年すぐに都へ呼び戻されました。
彼は自ら翁の像を刻み、常に護持していましたが、後に山城国の南にある一口(いもあらい)の里に神社を建て、お祀りしたということです。
社名の“太田姫”って、太田道灌の姫君からとったと思っていましたが、京都の一口稲荷神社の縁起に登場する老翁のことだったのですね
何でも調べてみないと分からないものです
ん⁇
でも“老翁”なのに“太田姫”とは⁇
一つ疑問が残ってしまいました
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