ちょっと、いいなと思った話です。


サラリーマンのランチやお弁当を見て回るNHKの「サラメシ」という番組があって、中井貴一サンのナレーションがなかなか上手です。


月曜日の夜10時55分からで、今日のお昼に再放送していたのを見ました。


今日は、「コスタリカ大使館」のお昼ご飯を紹介していました。

コスタリカ大使は、外交官出身37歳のガッシリして、なかなかカッコイイ男性でした。


コスタリカは、国内のエネルギーの95%を太陽光、風力、バイオマス等の自然再生エネルギーで賄っていることで、最近諸外国から注目されているそうです。


自然が豊かで、映画“ジュラシック・パーク”は、ここで撮影されたんでしたっけ?


軍隊を持ってなくて、その分の予算を教育に回している国でしたよね。

治安維持には、警察が当たっているとか。

最近買った世界地図帳で見たら、中米パナマの北西隣の小さな国でした。


前に、当時の首相だったか大統領だったかが、ブッシュのイラク攻撃を支持するというような発言をしたら、憲法違反だと男子大学生が訴え、裁判所も違憲判決を出したので、謝罪撤回したという話を大津駅前の弁護士会館で聞いた記憶があります。


司法も、「三権分立」ではなく、権力者や大企業を「三位一体」で守っていることが多い日本と違って、コスタリカは裁判官も立派ですね。


その後、日本に招かれた原告の大学生に、「裁判して良かったことは?」とたずねたら、「日本に来られたこと、生まれて初めて“雪”を見た」と答えたそうです。 

大使館では、スペイン語ペラペラの日本人女性秘書とフィリピン人運転手と大使が三人で、テーブルを囲んでお昼ご飯を食べていました。


大使は、ベジタリアンだそうで、自分で近所のコンビニに行って、買ってきたパック入りの野菜サラダを器にあけ、ナッツと卵焼きを乗せて、ドレッシングをかけ、ひじきの煮物を
混ぜ合わせて、「これが美味しい!」と食べていました。

お料理好きの秘書の女性は、手作りのお弁当、運転手さんはゴーヤのお料理を食べていました。

「日本料理は、手間と時間がかかってます」と、大使が言っていました。


中米の小さな国、「コスタリカ」がちょっと羨ましく、好感を持ちました。


昨夜から始まった竹内結子が、「段田凛」という名の熱血労働基準監督官を演じるドラマ「ダンダリン」が、なかなか面白かったし、次回に期待します。


漫画が原作だそうで、ユーミンが歌う♪主題歌も良かったです。 


労働基準監督官が、逮捕も出来るって初めて知りました。



原発事故の責任を追求し、「東京電力」のトップ達や「保安院」の斑目氏や学者の山下俊一氏ら33名を、被災者、避難者達や、その他の市民達1万四千人余りが、「福島地検」に告訴告発しましたが、先日「東京地検」が不起訴という決定を発表しました。


検事やその家族も住んでいる福島の地検に告訴したのに、「福島地検」は判断をせず、被告が東京に多いとか言って「東京地検」に移送して、不起訴としたのです。

原告団は、「検察審査会」に不服申し立てするそうですが、福島県民で構成される「福島地検」の「検察審査会」より、東京の方が不起訴不当という決定をする可能性は低いと思われます。移送は、それが狙いでもあったのでしょう。


去年の秋、京都「円山音楽堂」の集会で、原告団長の武藤類子さんが、「人を告訴するということは、とても勇気が要ることで、自分自身の生き方も問われますが、やり抜きます」と挨拶されたのが印象的でした。


関西支部が1口千円
で、原告を募集していたので、私と友人二人は、原告になりました。


新聞には、菅元首相ら被告とありましたが、私達の訴状では政治家は訴えてなくて、他の人達が訴えているようですが、誤解を招く新聞記事でした。


不起訴決定が発表されたのは、オリンピックが東京に決まった翌日というのも、わざとらしいです。


あんな大事故を起こし、まだ汚染が続いていて、琵琶湖と同じくらいの面積の国土に住めなくなり、福島県外で約6万人もの人達が避難生活を続けているのに、当事者が誰も責任を取っていない、こんなことでいいのか?


被告達には、全財産を投げ出して、被害者に報い、原発をやめて廃炉にする手配をしてもらいたいです。

地震がある度に不安を感じる福島4号機をはじめとする各原発の使用済燃料も、早く安全に処理してほしいです。


「東京電力」のトップ達が、経費を惜しまず対策をきちんとしていたら、あそこまでひどい事故にはならなかったと思います。汚染水対策も、そうです。


拉致被害者蓮池さんのお兄さんは、32年間東電に勤めていた社員で、福島原発で5年半保守管理を担当していたことがあるそうですが、原発事故について、
「週刊金曜日」の2011年11月号に

「福島第1の1~4号機と5~6号機は、離れているため、電気系統が別で、電気系統をつなげる計画もあったのですが、費用等の問題から実現しませんでした。
大震災後も、5~6号機の電気系統は、かろうじて生きていましたから、接続していれば最悪の事態を防げる可能性がありました。

東電の対応は、一事が万事この調子です。
「津波は想定外」と言いますが、「想定外」とは一定の予測をしている場合でしょう。津波の被害をまったく考えていなかったのだから、「無想定」と言うべきです。甚大な被害を出した当事者だという意識にまったく欠けています。

~略~

防波堤を造るなどの対症療法的な対策をしても、人為的なミスは起こり得ます。
『絶対安全』がないことが明らかになりました。 だから、新増設は無理だと政府や電力会社幹部は認識しないといけません。

自国で起きた事故が収束していないのに原発輸出はいくらなんでもないでしょう。
元原子力技術者として、心の底からこう考えます。」

という意見が載っていました。


事故後しばらくしてから見たテレビの「報道特集」では、福島第一の非常用電源が2台とも地下に置いてあったと知り、 外国の技術者が、「リスクは分散すべきなのに、信じられない!」と言っていました。

これについても、東電の社員が、せめて1台だけでも上の階に移すべきだと上司に進言したそうですが、取り合ってもらえず、その社員は退社して、田舎で自給自足の生活をしていると聞きました。


一昨年9月、「脱原発・市民ウォークIN滋賀」参加者の代表が、関電滋賀支店長との話し合いに行った時に、この話をして、関電原発の非常用電源は大丈夫ですか?と聞いたら、原子力広報担当者は「大丈夫です。」と答えましたが。

この時の対応も、ひどいものでした。

代表の一人が、支店長の予定を問い合わせ、日程を決めて会う約束をし、その日にデモを計画して、関電前で解散し、代表者8人くらいが支店内に入ったのですが、いつもは居ないガードマンが玄関前と中に立っていて、受付のすぐ裏側の窓もない狭い部屋に入れられました。


出て来た担当者が、支店長は会えないと言うのです。「約束したはずだ!」と代表が怒ったのですが、若い社員は偉そうな態度で、会えないと主張し続け、喧嘩してもしょうがないとこちらが引いたのでした。

穏やかな中年社員と話しましたが、「狭い部屋にたくさんの人が詰め込まれ、酸欠気味で、聞こうと思っていたことも忘れたわ」と、後で友達が言っていました。

「もう、関電からは電気を買わない!」と言ってやれたら、すっきりしたのに。


立法、行政、司法は、「三権分立」と学校で習いましたが、日本では「三位一体」となって、大企業や権力者を守っているように感じます。


アメリカでさえ、アフガンやイラク攻撃の経験から、今回のシリア攻撃については世論も反対意見が多く、市民達が反対デモをしていて、議会でも「いつまで世界の警察をしたがるつもりだ!」という意見も出たそうです。

昨年、大飯原発再稼動を反対するデモが盛り上がり、日本も変わるか?と思われたのに、“NO田”が強行してしまったことで、挫折感が拡がったかな?と思います。

私達は、あきらめずにずっとデモを続けていますが。


オリンピックを安全に実施するという口実で、いろいろな締め付けが厳しくなることも考えられるし、未来に希望を見つけにくい昨今です。




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「茶楽」を出て、堀割沿いに新町浜まで行きました。


6時過ぎ、まだ外は明るいですが、もうライトアップの準備が出来ていて、和紙を巻いたガラスコップの中でろうそくの火が揺れています。

1メートル間隔くらいに並べていくのは大変だったでしょうね。

明日も、おまつりは続きますが、灯を撤収するのも、大変ですね。

堀割沿いの道の上には、提灯が下げられていました。

新町浜の広い階段に座り、水面に映る灯を見ながら、フォークバンドの演奏を聞きました。

30年やっていて、孫がいる人もあると紹介し、みなみこうせつサンの歌「♪妹よ」や「♪夢一夜」、フォーク・クルセイダーズの「♪悲しくて、やりきれない」等を演奏したので、懐かしく聞いていました。

「夢一夜」は、前に買った「涙のフォークソング集」というCDに入っていて、時々運転中に聞いていました。

恋する女心を上手く歌っているなぁ、作詞は誰だっけ?と思っていたら、司会のおじさんが、「これは不倫の恋の歌ですね。作詞は、阿木耀子さん」と解説しました。

「♪あなたに会う日のときめきは

歓びよりも切なさばかり」と歌っています。

「切ない気持ち」というのは、恋をして初めて経験する感情だと思いました。

そんな思い出も、懐かしいです。

かつてヒットした歌を聞くと、その頃の想いがよみがえってきます。

私が青春時代に、聞いていたのは、小椋佳さん、さだまさしさん、松任谷由実さんの歌でした。

フォークソングの後は、オカリナの演奏でした。


辺りは、すっかり暗くなり、灯が繋がって揺れて見えました。

コンサートが終わり、堀割沿いの道には、近江牛コロッケや湖魚の佃煮やビール等を売るお店が出ていて、お客さんが並んでいました。


お昼のサンドイッチセットのボリュームがあったせいか、あまりお腹が空いてなかったので、バスで駅まで戻り、電車に乗りました。

最寄駅で下りて、お蕎麦を食べようかという話になり、駅前の麺類屋さんに入り、出雲蕎麦を食べました。


いつも前を通っていたお店に、初めて入ってみたのですが、細い手打ちの十割蕎麦で、美味しかったです。

また家族と行こうと思いました。


下の写真は、八幡堀辺りのお店で買ったお土産です。

巾着袋は、写真ではグレーに見えますが、くすんだ緑色です。小さな鰈型の箸置、シャツ型の携帯クリーナー、和布の花飾りが付いた耳かきです。

いろいろ楽しかった一日でした。