虎松ツヨシの阪神タイガース私設博物館 猛虎の兜 -17ページ目

虎松ツヨシの阪神タイガース私設博物館 猛虎の兜

阪神タイガース伝統のレプリカキャップコレクションを展示
その歴史を探究する。

(ミズノ社製選手支給品)

 

展示品は2018年1月4日に永眠された星野仙一元阪神タイガース監督を偲び、同年3月10日、中日ドラゴンズとのオープン戦、甲子園球場において行われた星野仙一氏追悼試合で実際に選手が着用した球団支給品である。

 

(チーム全員が星野監督時代の背番号77を着用)

 

 

この日、両チームは互いに星野氏の背番号(阪神は監督時代の背番号77、中日は現役時代の背番号20、胸に監督時代の77)を着用し、阪神は星野監督が優勝に導いてくれた2003年当時のユニフォームを復刻して試合に挑んだ。

 

 

(中日は現役時代の背番号20を着用)

 

当館でも当時のレプリカに関しては既に紹介済みなので詳しくはその頁を参照していただきたい。当然ながら、球団からこの復刻ユニフォームにちなむ商品の発売は無かったのでレプリカ博物館の趣旨に逸れてしまうが、今回は特別に入手した貴重な実使用の帽子を紹介させていただく。

 

 

2003年当時のユニフォーム公式サプライヤーはデサントで、帽子はスラッガーが供給していた。帽子の仕様は黒を基調に銀糸のマーク刺繍、後頭部には2002年から全球団統一のNPBロゴマークが縫い付けられ、ツバの裏地は現在は黒地が主流だが当時はグレーだった。細かい点を言えば当時は銀の糸でNPBマーク(ワッペン)を縁取っていたくらいでミズノによる復刻版も外観に関してはよく再現できている。

 

 

 

 

(2003年当時のNPBワッペンは銀縁だった。)

 

(手前:復刻版 奥:当時のもの)

 

大きく違う点といえば、ご承知の通り、長らく阪神タイガースの公式スポンサーを務めている上新電機が2018年からユニフォームの広告契約を拡大した為、従来の袖ワッペンに加え、パンツおよび帽子にも「Joshin」のロゴが配置されるよになった。しかし2003年当時はヘルメットのみの広告契約だったため、このような広告用ワッペンは無かった。

 

 

(手前:復刻版 奥:当時のもの)

 

 

これは私の主観になってしまうが追悼試合での中日ドラゴンズのユニフォームがシンプルに星野監督時代のものを再現していたこともあり、阪神タイガースもスポンサーが大切というのは重々承知しているが、こういう場面ではシンプルに哀悼の意を表し、あえて広告は控えてほしかった。

 

 

試合の結果は両チームとも天から見守る星野氏に意地を見せるかのように引き分けに終わった。


画像出典元:阪神タイガース/デイリースポーツ/日刊スポーツ/スポーツニッポン/サンケイスポーツ/スポーツ報知/中日スポーツ/ベースボール・マガジン社