社老士の社労士業界徘徊記 -8ページ目
京都では祇園祭の最中ですが・・・山鉾巡行だけが祇園祭と違いますのでね。

山鉾の巡行も2回になりまして・・・昔はそうだったんで元に戻っただけですが。

ここ数年は毎年見にいってたんですが、残念ながら今年は母が亡くなったんで神事にはかかわれません。

古い写真を整理してたら母と妹で見に行った祇園祭の写真が出てきました。

1963年の後祭です。



当時の後祭は寺町通りから四条通りを西へ進んで四条烏丸まで行ってたみたいです。

白内障の手術から3ヶ月以上経過しまして、術後の検診も次回は半年後でいいということになりました。


メガネをどうしようか相談したんですが、日常生活では必要ないし、パソコンもメガネ無しで使えるんですって話したら、じゃ、近所見るときだけ百均(@ ̄Д ̄@;)の老眼鏡でもかけとけば良いよってことに。

で、視力検査でも免許の条件悠々クリアしてたんで、善は急げで、眼鏡等の条件解除に行くことにしました。

さっそく、免許試験場に電話して聞いてみると、予約したほうがいいような話でしたが、今日なら4時までにといわれたんで、午後から解除に行くことにしました。


検査はとても簡単。更新のときの検査とほとんど変わりません。で、無事合格(^∇^)

まぁ、表のほうは変更できないんで、裏とICチップを書き換えてもらいました。これにちょっと時間がかかりましたが、無料でした。




で、これで眼鏡等の条件が解除されましたので、メガネ無しで運転が出来ることに。
ヾ(@°▽°@)ノ





遺品の整理してたら結婚式の写真が出てきました。父が亡くなったのは金婚式の祝いをした1992年だったので、それからすると1942年の写真ということになります。

1942年というと昭和で言えば17年、すでに戦争が始まってましたが、初期のまだ日本が優勢だった時期なので、一般でも結婚式をする余裕があったんですね。

父28歳、母26歳ですから、当時としては晩婚だったんでしょうね。父はその前に徴兵されて、大陸で実戦を経験し、下士官(いちおう)になって除隊したみたいなんで、結婚が遅くなったんでしょう。



母の緊張した顔がとても印象的です。時代が時代ですから、これから先の不安で一杯だったのかも。もちろん、それなりに夢もあったと思います。



それから父は30過ぎて再度招集されましたが、本土防衛のための部隊に配置されて浜松で終戦を迎えました。

先月、母が亡くなり、長い夫婦の歴史も終わりました。


前回のblogからしばらく間が開いてしまいましたが、5月14日のblog書いたすぐ後に母親が亡くなったという知らせがありました。享年101歳。眠るがごとくの大往生でした。

ようやく少し落ち着いてきたところです。
歳がばれちゃいますが・・・まぁ、バレてもどうってこともないけど・・・今年で免許とって50年になりました。

今の免許では普通免許になってますが、取ったころは軽4輪免許でした。昭和40年の道交法改正で軽4輪免許は廃止になったんですが、暫定措置で同43年までは試験が実施されてまして、16歳で受けることが出来ました。試験車はマツダ・キャロルでした。

そのうちに普通免許に格上げになると期待したんですが、軽車限定という条件つけられまして、結局昭和50年の暮に限定解除の試験を受けました。

もうひとつの自動2輪は1回生の時に取りました。試験車は富士重工が作ってたラビットというスクーターです。125ccの2ストでグリップをまわして変速する3段ミッションつきでした。で、方向指示器は使用禁止で手信号を出して曲がらないといけません。右手は使えませんので、左手だけで合図します。水平方向に左へ出すと左折、ひじを上げて左へ出すと右折です。

発信のときは結構バランス取るのが難しいんですけど、それ以外はスクーターですから( ̄▽+ ̄*)

しかし、採点が結構厳しくて、初めのころはなかなか合格できなかったみたいです。これが今では大型2輪になってるんですから、多少は厳しくても仕方なかったかも。

でも、昭和40年9月以前に軽4輪や普通自動車の免許持ってた人・・・って、全員高年齢者ですけどね・・・は試験無しで大型2輪もらってるんで、それに比べると得したとはいえませんが。