チバユウスケの「変わらない」音楽 その2 | ぐれむりんの気ままなブログ

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2023年11月26日に逝去された

チバユウスケさんを偲んで……。

僕はチバユウスケさんの熱心なファンなのですが、約25年前にミッシェル・ガン・エレファントの「チキン・ゾンビーズ」を聴いて以来※と言ってもミッシェル解散後は一時的に熱心なファンではなかった時期がありますがずっとチバさんの作品を聴き続けてきたのですが、チバさんの音楽は、奇跡的なくらい何も変わらず最後の瞬間までロックであり続けたと思っています。

 

そして、亡くなった後の「追悼記事」「追悼番組」の多さで、改めてチバさんの影響力の大きさを痛感させられました。

 

ファンとしては嬉しいやら悲しいやら……。

 

 

ってことで。

今回は、ファースト・スラム・ダンクでチバさんを知った新しいファンの皆様に向けて、これまでのチバさんの活動経歴や、僕がこれまで購入してきた作品についてご紹介しようと思います。

※チバさんの死という現実から立ち直れない、熱心なファンの妄言ということで、どうぞ寛大な心でお読みください。

 

先ず、チバユウスケさんと言えば

thee michelle gun elephantです。

 

チバさんが亡くなった後、様々なメディアで「追悼番組」が放送されていますが、放送される番組の多くがこの「ミッシェル・ガン・エレファント」関連なのは、それだけ、このバンドが当時の音楽界に与えたインパクトが強かったから……だと、熱心なファンの僕は思っています。

 

一部では、

伝説のバンド的な紹介もされていますが、リアル・タイムで聴いていた時は「爆発的に人気があるカッコいいバンド」くらいの扱いだったような気がします。

 

彼らが伝説になったのは、人気絶頂の最中にアッサリと解散してしまったのが大きい……そんな気がします。

 

って言うか、当時はSNSやYoutubeも無かったし、それどころかインターネットも普及途中の時代だったし、何より、CDがバカ売れしていた時代でした。

 

安室奈美恵さんが「キャン・ユー・セレブレイト」を歌い、コムロ・ファミリーやglobeがバカ売れし、ラルクグレイなどのビジュアル系がモテ囃され、宇多田ヒカルさんや椎名林檎さんがデビューし、ミスチル、スピッツ、B'z、イエモン、サザンなどが人気だった時代です。洋楽もそれなりに売れていました。ハッキリ言って、ミッシェルよりも伝説級のミュージシャンが目白押しの時代です。

まだ、ブランキー・ジェット・シティも活動中だったし、僕の周囲にも「ブランキー派」と呼ばれるロック好きが多くいました。

 

ミッシェルが全国区の知名度を獲得したのは※ロックにあまり興味が無い層にまでという意味で「伝説の夜」と言われるMステの生放送以降ではないでしょうか?

 

これは、生放送のMステで、ロシアの女性デュオ「t.A.T.u」が番組をドタキャンしてしまい、放送時間が余ってしまった穴を埋めるため、番組の最後に唯一「生演奏」が出来るミッシェルが急遽追加で1曲余分に演奏して番組を救ったというものです。

 

ステージのセッティングなどもなく、出演者の前で、急遽用意された機材だけで演奏された「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」は圧巻のパフォーマンスでした。

※2023年の年末に放送されたMステ・スペシャルのオープニングでこの「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」のサビが流れたのは番組からチバさんへの追悼の意だったと思います。

 

この楽曲はラスト・ミニ・アルバム「SABRINA NO HEAVEN」に収録されているのですが、ミッシェルはこの「伝説の夜」のパフォーマンスを披露したのと同じ年に解散してしまいます。

 

何と言うか、数奇な運命のように感じてしまいますが……奇しくも全国区に知名度を広げたミッシェルがその絶頂期に解散してしまった2003年、それから20年後、映画ファースト・スラム・ダンクへの楽曲提供で知名度が上がったThe Birthdayが、2023年にチバさんの逝去で活動を終了してしまいました。

ちなみに、ミッシェルがインディーズから初作品を発売したのは30年前の1993年です……。なんだか、運命のようなものを感じてしまうのは熱心なファンの僕だけでしょうか?

 

チバさんが音楽界の表舞台に登場して30年。

常に絶頂期のまま活動を終了する。

 

これがチバユウスケの「伝説」なのかもしれないですね。

 

 

 

ミッシェル・ガン・エレファントの作品

 

「MAXIMUM! MAXIMUM!! MAXIMUM!!!」

※アベさん加入前のライブ盤です。

 

「wonder style」

「cult grass stars」

「High Time」

「chcken zombies」

「ギヤ・ブルーズ」

「RUMBLE」

「カサノバ・スネイク」

「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター」

「SABRINA HEAVEN」

「SABRINA NO HEAVEN」

 

これらの作品が、リアル・タイム時代の彼らのオリジナル・アルバム扱いだった作品です。※個人的な意見です。

「RUMBLE」はベスト盤だし「wonder style」と「SABRINA NO HEAVEN」はミニ・アルバムですが、当時はオリジナル・アルバムと同じ感覚で聴いていた記憶があります。

 

メジャーでの活動期間は約7年と短いですが、その間に様々な偉業(主にライブ関係)を成し遂げたバンドです……と、言っても、先にも書きましたが、当時は今ほどインターネットが普及していない時代だったため、地方の田舎都市で暮らしていた僕にはまるで実感の無いお話でした。

 

チバさんはミッシェルでの活動期間中、確か、「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター」の発売後にバンドの休止時期があり※レコード会社移籍の為、2001年に元・ブランキー・ジェット・シティのベーシストである照井さんと「ROSSO」を結成します。※ブランキーは2000年に解散しました。

当時は、ミッシェル休止中のソロ・プロジェクト(期間限定)扱いのスーパー・バンドでした。

 

音楽性は、ミッシェルとは微妙に違う、大人のロックって感じでした。いや、実際には、ミッシェルがあまりにも攻撃的でスリリングだっただけなのですが……。

 

その為か?

僕は「ミッシェル=チバユウスケ」という印象が薄く、ミッシェルはアベフトシが居たから成り立っていたという感覚です。

 

僕にとってのチバユウスケ伝説は「ROSSO」から始まった。そんな気がしています。

……が、それは次回ということで、今回はミッシェルのお話が続きます。

 

実は、リアル・タイム時代のミッシェルって、僕のようなCDコレクターには非常に厄介なバンドだったのを憶えています。

※当時はまだコレクターではなかったのですが……。

 

先ず、彼らはCD全盛の90年代に、敢えてアナログ・レコード盤も販売していたということです。

しかも、CDとアナログ盤で楽曲のアレンジが違ったり、アナログ盤(シングル)のみに収録された楽曲があったり……。

 

例えば、彼らの7枚目のシングル「VIBE ON!/あんたのどれいのままでいい」はCDの販売は無く、ライブ会場限定アナログ盤のみでの販売でした。

表題曲の「VIBE ON!」は後にベスト・アルバム「TMGE 106」に収録され、「あんたのどれいのままでいい」は活動再開後に発売されたベスト・アルバム「TRIAD YEARS」の初回盤のみに収録されました。※今はDLで簡単に購入可能ですが。

ちなみに「あんたのどれいのままでいい」は1993年に発売されたインディーズ・ライブ・アルバム「MAXIMUM~」の途中の曲紹介でタイトルだけが紹介されていた楽曲と同じだと思います。

 
 

 

まあ、未CD化曲(アレンジ違いは除く)のほとんどは「TRIAD YEARS」の初回盤に収録されていましたが、唯一、シングル「G.W.D」のアナログ盤収録の「SICK ON YOU」はベスト盤にも収録されることなく、僕が知る限りでは、コンピレーションCD「LONDON NIGHT 20th anniversary EXTRAX」に収録されただけ……だと記憶しています。

 

まあ、それは置いといて。

 

チバさんが亡くなったことで、初めて「ミッシェル・ガン・エレファント」というバンドを知った(興味を持った)若いリスナーの皆様にご注意して頂きたいのは……

 

ミッシェルは時代錯誤(?)の

ガレージ・ロック・バンドだということです。

 

時代錯誤……、なんて言い方は語弊がありますが、CD全盛の90年代、いや、レコーディング技術が発達していた90年代に、あえて古い時代のモノラル音声的な「粗い音」でバンド演奏の生々しさや一体感を表現したバンドでした。

 

楽曲によっては「ステレオ的な音の広がり」をほとんど排除して、モノラル・サウンドのように聴こえるものもあります。

 

それを知らずにミッシェルを聴くと、

え? 音、悪っ!

って驚くかもしれません。

 

オリジナル・アルバムも音が粗いのですが、特にライブ・アルバムは観客の誰かが隠し録りでもしたんじゃないかって錯覚するような「粗い音声」です。

 

熱心なファンじゃなければ「え? もしかして不良品? 海賊盤?」と耳を疑うレベルの音声だと覚悟して下さい。

 

更に、オリジナル・アルバムの「ギヤ・ブルーズ」以前は、チバさんの声がいまのように「ハスキーなしゃがれ声」にはなっていません。チバさんの声が変わり始めるのは「チキン・ゾンビーズ」頃からです。

名盤「ギヤ・ブルーズ」からはハスキーなしゃがれ声と巻き舌歌唱という、まさに唯一無二の歌声を聴くことができます。

 

音楽性も「チキン・ゾンビーズ」を境に激変しています。

 

初期の作品にあった、どこかユーモラスでアッケラカンとした雰囲気のロックンロールは影を潜め、過激さ増し増しの男気ガレージ・ロックへと変化します。

 

▲初期の名曲「キャンディ・ハウス」です。

この頃はユーモラスでアッケラカンとしたお洒落さがあります。

 

▲中期の名曲「スモーキン・ビリー」です。

まさに、唯一無二の歌声です。

 

▲後期の名曲「ベイビー・スターダスト」と最後期の楽曲「ブラック・ラブ・ホール」です。

それにしても、「にゃ~お」なんて歌詞をここまでロックに唄えるのはチバさんだけじゃないでしょうか?

 

ミッシェルが凄かったのは、※好みの問題はありますがデビュー作からラスト・アルバムに至るまでの7年間、アルバムを発売するごとに常に「最高傑作」を更新し続けたことではないでしょうか。

 

初期のアッケラカンとした雰囲気が好きだったファンは、後期の狂気じみた凄みが苦手だと言う方も多いですが、僕個人としては、ラスト・アルバム「SABRINA HEAVEN」以外は全て、アルバムが出る度に「最高傑作キター!」って思っていました。

 

まあ、「SABRINA~」に関しては、本当は2枚組で出したかったという意向があったらしく、また、ミッシェルの活動休止中にチバさんが「ROSSO」を結成したこともあり、その時の経験が楽曲制作に反映されたのかもしれません。

 

実はチバさんは、これまでの音楽活動の中で、チバユウスケ名義で作曲した楽曲って数えるほどしかありません。

常にバンドマンとして活動を行っています。

作詞以外は、全て「バンド名義」で作曲を行っています。

 

僕はずっと、チバさんは作曲は苦手、と言うか、作曲はあまりしないのだろうなと思っていたのですが、The Birthday時代にパフィーに楽曲提供した「誰かが」を聴いて衝撃を受けました。

この曲、作詞・作曲:チバユウスケなのですが、「え? これ、もうThe Birthdayじゃん!」って思いました。

実際、The Birthdayでセルフカバーしたら、もう、そのまんまThe Birthdayです。

 

もしかすると、初期の「ROSSO」の楽曲はチバさんが中心で作曲したのかもしれません。

そう考えると、「SABRINA HEAVEN」が他のアルバムと雰囲気が違うのは、作曲家としてのチバさんの方向性が変化したのが原因だったのかもしれません……。

 

そして、2003年にミッシェル・ガン・エレファントは解散してしまうのですが、チバさんはすぐに新バンドを結成します。

それが、新生「ROSSO」です。

 

いや、その前に、ROSSOのベーシスト照井さんのソロ・プロジェクト「RAVEN」にゲスト参加してますね。

※他にも女性ボーカルのYUKOさんが参加していますが、ごめんなさい、誰だか存じ上げないです……。楽曲の8割はチバさんが唄ってます。

しかもこのバンド、楽曲によっては元・ブランキー・ジェット・シティのドラムス、中村達也さんも参加しているので、ブランキーとミッシェルの共演……って言うか、ほぼブランキーじゃんってスーパー・バンドだったりします。

「チェリー・ボン・ボン」なんて甘・甘なタイトルに騙されると痛い目にあうくらいチバさんの絶叫歌唱が味わえます。

初回限定盤は2枚組で、ボーナス楽曲として7分超えの楽曲「Star Carpet Ride」が付いています。

この曲、最初はチバさんが唄っているとは思いませんでした。

 

ただしこの「RAVEN」は、ミッシェル解散後に「ROSSO」が活動再開するまでの期間限定バンドで、アルバム1枚で活動終了しています。

 

そして2004年、その後、The Birthdayのギタリストとして共に活動することになるイマイアキノブさんが加入した「ROSSO」が本格始動するのですが、それはまた次回、というコトで。