悶々とつらつらと | 片岡亮太 ̄めざせ!!ファンキー グルーヴ“千里の道も一歩から~♪♪”

悶々とつらつらと

*長文をしばらく書いていなかったせいか、全く頭が整理されていない文章を書いてしまった。
でもせっかくなので備忘録としてUPします。

 先日「障碍者と感動」をテーマにしたEてれの番組を見た。
かなり正面切ってメディアにおける障碍者の取り上げ方の偏りについて語り合っており興味深かった。
全体的に24時間テレビを批判しているような雰囲気があったことは否めないし、それはそれでよいと思ったのだけど、
好感が持てたのは、ちゃんとNHK自体の番組の作り方にも安易な感動の方程式のもと作られた番組があったことを明言していた部分。
自分も過去にNHK教育の番組でドキュメンタリーを作っていただいたことが複数回あり、
いずれの場合も、番組側の方々が物語をあらかじめ作りすぎていること、
自分という被写体を使った感動物語を作りたいと思われていることを強く感じ、何度も話
し合いを重ねた。
その結果、企画自体を白紙に戻してほしいとこちらから伝えるまでに至り、
そこまで行ってようやく思い込みをある程度捨てた取材に切り替えてもらえた記憶がある

僕自身まだ20代前半と未熟だったので、立ち振る舞いが上手でなかったところも多々あったとは思うし、
最終的に作り上げていただいた番組はどれもありがたいものだったので結果オーライ。
何よりそういうきっかけをくださったことに今でも心から感謝をしている。
そういった反省や感謝は置いておいて、たとえば2008年に作っていただいたドキュメンタリーでは、
 「10歳で失明した少年が失意の中太鼓と出会い、自分に可能性を再び見出す。」
 「大学では障害のない友人たちとの関係に悩みながらも、徐々に打ち解けいい仲間となる」
 「家族が懸命にサポートしながらプロとしての活動を展開しようとしている」
 「家族はそんな彼を心配しながらも温かく見守っている」
 「障害という壁と闘いながら頑張る片岡亮太」
おそらくおおむねこういう絵を描いたうえで取材をしていただいていたように思う。
けれど、そのどれも自分をきちんと移してもらうには少々ずれた視点だった。
どのエッセンスも部分的にはその通りと言えるところもあるのだけど、
そこまで僕の人生は劇的でもなければ箇条書きで語れるほど単純でもない。
もっと微妙なものだし、ある種淡々としたものだと思う。
 それを無理に劇的に、感動的に、美しく描こうとしてしまうのがテレビなのかもしれな
い。
その時にはそういう印象を持った。
実際、「ちょっとそういうことはしないので」とか、「それを映されるのはちょっと困ります」
を連発した僕の番組は、えらくテレビ映えしないものだったように感じた。
そこについては当時のディレクターさんにものすごくご苦労を掛けてしまったと思うし、
もうちょっと面白いコンテンツを僕自身が持っておくべきだったと反省もしている。
 でも嘘はつきたくなかったのだ。
障害のある音楽家はきっとこうだろうというイメージにあてはめられることはされたくな
かった。
番組サイドが考える障碍者像を保証するための被写体になるくらいなら出なくていいと思った。
余談になるが、自分と身内を除いた友人やお世話になっている方など、
当時の取材にかかわってくださったすべての人が、
上記のようなイメージや、番組としてほしそうなコメントを一切言わなかったことがとてもうれしく、印象的だった。
ニュートラルに自分を見てくれている人たちに出会えたからこそ今の自分があるのだ。
現在もそうだけれど、あの時もそう感じて、それが本当にうれしかった。

 一方で、ラジオへの出演の際には、そういうストレスを感じたことが一度もない。
派手さをそこまで必要としないメディアだからなのだろうか。
どんな局に出させていただいた時も、僕のままで話していた実感がある。
テレビ番組は、膨大な取材によって得た素材から象徴的なシーンや言葉を切り取り、パッケージにする。
番組としてのインパクトを求めようと思ったら、ある程度の誇張は仕方がないのかもしれない。
 だが、たとえば障碍者を描くときなど、そこに社会的メッセージが含まれうるときには、
作り手側が、番組のために、そのような意図を持っていることをしっかり自覚しなければいけないと思うし、
それが社会にどのような意味をもたらすかを慎重に吟味しなければならない。
まさに先日の番組でも紹介されていたイギリスのメディアの考え方のように、偏った視点から障害者を映し出すことは啓発どころか、差別の助長につながる。
 企画の面白さや番組サイドの力技で強引に障碍者を感動物語の主人公にしてしまうことのあやうさ、
それが社会だけでなく、そこに登場した人たちに与えうる影響、それも考えなければいけない。
 現在、あるいは将来、もしもまたテレビで取り上げていただけるようなことがあった際、
僕はどのようにふるまえるのか、どんな言葉を伝えられるだろうか。
ようやく歩き始めて10年、公私ともに随分と環境が変化してきた。
音楽による表現も、言葉によるアウトプットも、内容の性質を問わずエンターテイメントにできる存在でありたいと思っているからこそ、
人目に触れていない瞬間に感じる様々な感情や、ドロドロとした思考があることにも気づいてきた。
表現者として当然の苦しみがある一方で、視覚障害者ゆえに感じる苦労も浮き彫りになってきたと感じる。
それは、移動における自由が効かないことや書類仕事、文字媒体の作業に時間がかかるといった実務的なことだけでなく、
自然に入ってくる情報の中に、視覚情報が含まれないことが創作活動に与える影響の大きさ、
演奏法の模索の上での苦労など、表現活動に直結したものまで様々。
家族との関係ということで言えば、AJARRIAの活動において、一般的に持たれやすいであろうイメージと実情がずれていることも強く感じる。
例を挙げれば、多くの場合、AJARRIAyaそれぞれのソロ活動における、事務仕事(メールのやり取りや書類作成など)はどちらかといえば僕の方が得意なので自分が中心を担う。
一方で、パーカッションだけでなく、和太鼓のアプローチなどに至るまで、音楽に関しては優子女史にプロデュースを任せている。
それは僕のソロの曲についても言えること。
でも圧倒的に言われるのは、僕のソロの公演についてもメールのやり取りは優子女史が担当しており、僕は音楽や講演に集中しているのだろうというものだ。
もしかしたら、現在やり取りをしている様々な方々の中にも、そう思ってらっしゃる方はたくさんいるかもしれない。
勘違いされたくないのは、僕が事務仕事の中心を担うことも、優子女史がプロデュースを担当していることもいわゆる二人三脚的な思考というよりも、
わりとドライに、プロとしての活動のクオリティを向上させるためにお互いに選んだ形がこういうものだったということ。
残念ながらAJARRIAとして新聞などの取材を受けると、僕に対しては視覚障害にまつわる質問を、優子女史へは海外を含めた音楽的な活動についての質問をという感じになることが常。
やはり様々なバイアス、偏った嗜好を感じずにはいられない。
いつか、そのあたりのことも含め、実情と思いを映し出してもらえるチャンスがあったら幸に思う。
 最後に、ぜひ今後、この前の続きというか発展系のようなイメージで
24時間テレビも含め、障害者を被写体にしてきた番組のディレクターさんを招いての討論をやってほしい。
作り手が込めている思いをぜひ聞いてみたい。
そこに対して障害当事者が語る言葉。
生まれる化学反応。
そういったことが発信できる事柄もあるのではないだろうか。
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  片岡亮太(和太鼓&パーカッション奏者)
 「人が集い、音が響き、時が輝く」
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