70年代おやぢのつぶやき -6ページ目

70年代おやぢのつぶやき

リアルタイムに70年代を過ごしていまでも心に残ってる出来事や音楽、映画等を書いてみます。

サンフランシスコの伝説のファンクバンド、スライ&ザ・ファミリーストーンを1971年に解雇されたラリー・グラハムが1973年に結成したのがグラハム・セントラル・ステイションである。

ラリー・グラハムはスライに加入した時からすでにベースを親指でパーカッシブに弾く、いわゆるチョッパー、スラップ奏法を駆使していた。

バンド名はニューヨークにあるグランド・セントラル・ステーションに由来しているが、ベイ・エリアのバンドでアルバム「リリース・ユアセルフ」には同じくベイ・エリアのタワー・オブ・パワーのホーンセクションが参加している。

ラリー・グラハムは最高のベースと共に、低音の脂っこいヴォーカルも堪能させてくれる。


私のお気に入りはやはりタワーホーンズが入った「リリース・ユアセルフ」だが、1978年のアルバム「My Radio Sure Sounds Good to Me(邦題はいかしたファンキー・ラジオ)」収録の「パウ」はスラップ奏法の金字塔として名高い。
タイトルの「宇宙最高のファンクバンド」は2006年に49才と言う若さで惜しくも亡くなった、ベーシスト青木智仁氏の言葉として残されている。

Tower of Power(タワーと略)は1968年にベイ・エリアの東海岸イースト・ベイの街オークランドで結成された。当初は「モータウンズ」と名乗っていたことでも判る通り、ソウルに憧れた少年達が作ったバンドです。基本的に「ホワイト・ソウル」のバンドである。

彼等の当時の目標は、その当時の世界のロックの聖地であった、ライヴハウスの「フィルモア」への出演と、レコード契約の獲得だった。ただ、「モータウンズ」という名前のバンドと契約してくれるレコード会社も無く(モータウン・レコード以外とは)、彼等はバンド名を「タワー・オブ・パワー」と変えた。

念願のフィルモア出演も果し、名物オーナーだった故ビル・グラハムに気に入られて彼のレーベル「サン・フランシスコ」からデビュー・アルバム「イースト・ベイ・グリース」を発表。このアルバムの出来が良く、大手のワーナー・ブラザースから声が掛かって、セカンド・アルバム「バンプ・シティ」を発表する。

ここからのワーナー時代がタワーの黄金期とされている。
特にサード・アルバムの「タワー・オブ・パワー」から、レニー・ウィリアムズ(Vo)レニー・ピケット(1st.T.Sax)ブルース・コンテ(G)チェスター・トンプソン(Key)が参加し、それに呼応し、オリジナルメンバーのデヴィッド・ガリバルディ(Ds)フランシス・"ロッコ"・プレスティア(B)のコンビネーションも洗練されつつ、彼ら以外では不可能な複雑なリズムを創り出す。

1974年発表の「バック・トゥ・オークランド」の頭の「オークランド・ストローク」は複雑さにおいては最高峰だろう。「踊れないファンク」と言われた所以である。

1976年にワーナーからCBSに移籍するが、当時の流行のディスコサウンドを求められたのか、タワーはその勢いを無くしていく。
ガリバルディ、ロッコ、コンテと次々に脱退していき、80年代はほとんど活動休止状態になってしまう。

私が1985年にアメリカに行った時、L.A.に住む友達から「タワーにロッコが戻ってライブをやってる」と聞き、観に行ったのが私の生タワー初体験であった。
アンコールでのタワーの代表曲とも言える「ホワット・イズ・ヒップ」ではゲストでガリバルディがドラムを叩き、これまた私が大好きなリトル・フィートのビル・ペインがハモンドB-3を弾いたのであった。
その時の衝撃はいまだに忘れることが出来ない。

1987年にアルバム「パワー」を発表するも、タワーらしい曲は1曲だけで1989年に本格的に活動再開するまでは忘れられた存在になってしまっていた。

1989年に初めて白人のみのメンバー構成で活動再開し、来日も果たしている。
もちろん私も観に行きました。

それから現在までライブを中心とした活動をしており、2004年からは毎年来日している。
もちろん全部観に行ってます(笑)

2008年には復活した「フィルモア」で40周年ライブを歴代のメンバーも参加して行われ、その模様はCD,DVDで楽しむことが出来る。

タワーについて書いてるとまだまだ書き足りないって思いが強くなってしまうが、長くなりすぎるのでまた後の機会に・・・
タイトルのベイ・エリアはサンフランシスコ湾沿岸地域を指す。

60年代からいわゆるヒッピー・ムーヴメントの聖地として世界中から自由を求める若者やミュージシャンが集まってきた。ジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッド、サンタナなどはその代表格だろう。

一方で、スライ&ファミリーストーン、コールド・ブラッド、イースト・ベイのオークランドのタワー・オブ・パワー、スライ脱退後のラリー・グラハム率いるグラハアム・セントラル・ステイションなどのファンクバンドが登場してくる。

特色としては白人、黒人混合のメンバー構成が挙げられる。これはサンフランシスコの自由な土地柄が人種意識を薄めていたからなのだろう。

コールド・ブラッドのヴォーカル、リディア・ペンスは21歳の白人女性だった。
当時はジャニスの存在があまりに大きかったために認知度は低かったが、小柄で可愛らしいリディアのソウルフルな歌は今でも色褪せることはない。

伝説のフィルモア・ウェスト閉店時の映画「フィスモア・ラスト・デイズ」にも登場しているので、見たことがない人はYouTubeでチェックしてみて頂きたい。

私がハマったのはタワー・オブ・パワーとグラハム・セントラル・ステイションだった。
特にタワーの最大の特徴である分厚いホーン・セクションはベイ・エリアの多くのレコーディングにもさんかしている。サンタナやグラハムはもちろん、ヒューイ・ルイス・&ザ・ニュースの来日時にタワーホーンズが一緒だったこともある。

次回からタワーについて熱く書きたいと思います(笑)