3大ギタリストとして、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジとともに挙げられているジェフ・ベックだが、自身のバンドを組むとアルバム2枚リリースすると解散してしまう。
ヤードバーズ脱退後、自身のバンド、いわゆる第一期ジェフ・ベック・グループを結成する。
メンバーがとてつもなく
ジェフ・ベック/ギター
ロッド・スチュワート/ヴォーカル
ロン・ウッド/ベース・ギター
エインズレー・ダンバー/ドラムス
ニッキー・ホプキンス/ピアノ
アルバム「Truth」レコーディング時にはミック・ウォーラーがドラムに加入したりメンバーチェンジが多く、アルバム「Beck-Ola」リリース後にロッド・スチュワートとロン・ウッドはスモール・フェイセスへ、ニッキー・ホプキンスも脱退し、第一期ジェフ・ベック・グループは解散する。
ベックはロッドを「世界最高の白人ソウル・シンガー」として評価していて、極端に言えばベックにとってこの第一期ジェフ・ベック・グループはロッドと共演するためだけに存続していて、他のメンバーはどうでもいいという感じだったのだろう。
その頃ジェフは、ヴァニラ・ファッジのティム・ボガート、カーマイン・アピスと接近、彼らにロッド・スチュワートをボーカリストとして加え、新たなバンドを結成する予定であったが、直前の1969年にカスタム・メイドのT型フォードを運転中ロンドン南30マイルのメイドストーンで交通事故を起こし重傷を負い、三ヶ月の入院を余儀なくされる。この出来事により、新バンドの構想は白紙となってしまう。
怪我が完治したジェフは新たなメンバーを集め、再び自身のリーダーバンドを結成する。このバンドが第二期ジェフ・ベック・グループである。
メンバーは
ジェフ・ベック: ギター
ボブ・テンチ: ヴォーカル、ギター
マックス・ミドルトン: ピアノ、キーボード
クライヴ・チェイマン: ベース
コージー・パウエル: ドラムス
とこれまた凄腕メンバーだった。
このバンドはジャズやモータウンといったブラック・ミュージックからの影響を大きく受けており、それまでのブルース路線とは異なるものだった。
1971年にリリースされた「Rough And Ready」ではベック自らがプロデュースも行い、共作1曲を含む全曲を作曲という力の入れようであったが、仕上がりには彼自身満足できなかったようだ。
1972年にリリースされた「Jeff Beck Group」(そのジャケットデザインから、通称「オレンジ・アルバム」と呼ばれる。)はブッカーT&MG'sのギタリストであるスティーヴ・クロッパーにプロデュースを依頼し、メンフィスで録音された。
この「オレンジ」は私のベック・ベストである。
1曲目の「Ice Cream Cakes」のコージー・パウエルのドラムのイントロから、最後の曲「Definitely Maybe」のベックの泣きのスライド・ギターまで捨て曲がなく、ソウルフルなボブ・テンチのヴオーカル、マックス・ミドルトンのピアノ、クライブ・チェイマンのファンキーなベース、そしてコージー・パウエルのめちゃくちゃカッコいいドラムとで極上のソウル、ロックを聴かせてくれる。
この第二期ジェフ・ベック・グループも2枚のアルバムを残し解散してしまう。
コージーはその後、レインボー、MSG、EL&P、ホワイトスネイク、ブラック・サバスとビッグ・ネームのバンドを渡り歩くが、私はパープル系は好みではなかったのでコージー=第二期ベック・グループなのである。
ベックは再び、カクタスで活動していたティム・ボガートおよびカーマイン・アピスと接触し、ベック・ボガート・アンド・アピスとして活動することとなる。
私は第二期の「オレンジ」が大好きだったので、ベック・ボガート・アンド・アピスの荒っぽさは凄いとは思ったが好きにはなれなかった。
ベック・ボガート・アンド・アピスもスタジオ盤と日本でのライブ盤の2枚を残し解散してしまう。
1975年以降のベックはソロとして常に新しいアプローチをしながら現在もライブを中心に活動している、永遠のギター小僧である。1944年生まれの67才とは信じられない。
トラピーズは1969年結成のイギリスのロックバンドである。
オリジナル・メンバーは元モンタナズのジョン・ジョーンズ(ボーカル)とテリー・ローリー(ギター・キーボード)に、メル・ギャレー(ギター、ボーカル)、グレン・ヒューズ(ベース、ボーカル)、デイヴ・ホランド(ドラムス、パーカッション)の5人。
1970年にセルフタイトルのデビューアルバムをリリースするが、ジョーンズとローリーは早々に脱退し、ギャレー、ヒューズ、ホランドのトリオ編成になり、同年11月に2ndアルバム「Medusa」を発表。
3ピース編成となったのを機に、ソリッドなハードロックへと音楽性が変化していく。 ファンク、ソウル、R&Bをミクスチャーした独自のロックは当時としては先進性のあるものだった。
Charの「Pink Cloud]はトラピーズの影響をもろに出しているバンドであった。
グレン・ヒューズはThe Voice Of Rock/The God of Voiceとも呼ばれるほどのシンガーでもある。
私がかつて聴いたソロ・アルバムなどはファンクやソウルを全面に出したものだった。
タイトルの1972年リリースの「You Are the Music...」はデイヴ・ホランドの重たくタイトなドラムと、ヒューズの荒々しくもファンキーなベース、メル・ギャレーのグルーブ感たっぷりのリフやリズム・カッティングが絶妙に絡み、そこにヒューズのThe God of Voiceが乗っかり、楽曲も捨て曲がない最高のアルバムに仕上がっている。
2004年、元オジー・オズボーン・バンドのジェイク・E・リーが、彼の70年代のカバー・アルバムで「Way Back To The Bone」を、また2006年にはパット・トラヴァースが彼のカバー・アルバム「P.T.Power Trio2」の中で「You Are the Music...」をカバーしたりと、トラピーズもミュージシャンズ・ミュージシャンとしていまだに影響を与え続けている。
ちなみにヒューズがディープ・パープルに移籍後、リッチー・ブラックモアが脱退したのはヒューズとともに加入したデイヴィッド・カヴァデールがソウルやファンクの要素を持ち込み、ハードロック路線を思考するブラックモアがやる気をなくしたためと伝えられている。
その後釜に元ジェイムス・ギャングのトミー・ボーリンが加入してリリースされた「Come Taste the Band」を私の仲間内では一番好きなパープルのアルバムとして挙げるものも少なくない。
トラピーズはヒューズ脱退後もメンバーチェンジを繰り返し活動をするが、唯一のオリジナル・メンバーのメル・ギャレーがホワイトスネイクに移籍することを決め、1982年にトラピーズは解散した。
90年代以降にギャレー、ヒューズ、ホランドの再結集が度々行われていたようだが、2008年7月1日、中核メンバーだったメル・ギャレーが60才で食道癌で死去した。
グレン・ヒューズは1977年からソロ活動や数々のレコーディングに参加したりと、現在までコンスタントにソロアルバムをリリースし、またトラピーズの曲の多くがこの20年間、グレン・ヒューズによってライブで演奏されている。
オリジナル・メンバーは元モンタナズのジョン・ジョーンズ(ボーカル)とテリー・ローリー(ギター・キーボード)に、メル・ギャレー(ギター、ボーカル)、グレン・ヒューズ(ベース、ボーカル)、デイヴ・ホランド(ドラムス、パーカッション)の5人。
1970年にセルフタイトルのデビューアルバムをリリースするが、ジョーンズとローリーは早々に脱退し、ギャレー、ヒューズ、ホランドのトリオ編成になり、同年11月に2ndアルバム「Medusa」を発表。
3ピース編成となったのを機に、ソリッドなハードロックへと音楽性が変化していく。 ファンク、ソウル、R&Bをミクスチャーした独自のロックは当時としては先進性のあるものだった。
Charの「Pink Cloud]はトラピーズの影響をもろに出しているバンドであった。
グレン・ヒューズはThe Voice Of Rock/The God of Voiceとも呼ばれるほどのシンガーでもある。
私がかつて聴いたソロ・アルバムなどはファンクやソウルを全面に出したものだった。
タイトルの1972年リリースの「You Are the Music...」はデイヴ・ホランドの重たくタイトなドラムと、ヒューズの荒々しくもファンキーなベース、メル・ギャレーのグルーブ感たっぷりのリフやリズム・カッティングが絶妙に絡み、そこにヒューズのThe God of Voiceが乗っかり、楽曲も捨て曲がない最高のアルバムに仕上がっている。
2004年、元オジー・オズボーン・バンドのジェイク・E・リーが、彼の70年代のカバー・アルバムで「Way Back To The Bone」を、また2006年にはパット・トラヴァースが彼のカバー・アルバム「P.T.Power Trio2」の中で「You Are the Music...」をカバーしたりと、トラピーズもミュージシャンズ・ミュージシャンとしていまだに影響を与え続けている。
ちなみにヒューズがディープ・パープルに移籍後、リッチー・ブラックモアが脱退したのはヒューズとともに加入したデイヴィッド・カヴァデールがソウルやファンクの要素を持ち込み、ハードロック路線を思考するブラックモアがやる気をなくしたためと伝えられている。
その後釜に元ジェイムス・ギャングのトミー・ボーリンが加入してリリースされた「Come Taste the Band」を私の仲間内では一番好きなパープルのアルバムとして挙げるものも少なくない。
トラピーズはヒューズ脱退後もメンバーチェンジを繰り返し活動をするが、唯一のオリジナル・メンバーのメル・ギャレーがホワイトスネイクに移籍することを決め、1982年にトラピーズは解散した。
90年代以降にギャレー、ヒューズ、ホランドの再結集が度々行われていたようだが、2008年7月1日、中核メンバーだったメル・ギャレーが60才で食道癌で死去した。
グレン・ヒューズは1977年からソロ活動や数々のレコーディングに参加したりと、現在までコンスタントにソロアルバムをリリースし、またトラピーズの曲の多くがこの20年間、グレン・ヒューズによってライブで演奏されている。
70年代後半から、私はソウル系とともにジャズ系のファンクをよく聴くようになった。
1960年代の後半から、マイルス・デイヴィス等ジャズのミュージシャンが電気楽器とロックのスタイルを取り込んだエレクトリック・ジャズやジャズ・ロックの作品を発表するようになった。これが後にクロスオーバー、フュージョンと呼ばれるようになるが、私の好みはゴリゴリの16ビートファンクである。
そのアンテナに引っかかったのが、ジョージ・デューク、ブレッカー・ブラザーズ、レニー・ホワイト(アルバム「Stream Line」しかちゃんと聴いてないが、10代のマーカス・ミラーが参加)等で、いまでも愛聴となっている。
ロック側からのファンクへのアプローチは以外に少なく(私の知識内でだが)、ジェフ・ベックの「Blow By Blow」以降のアルバムくらいしか思いつかない。
特に好きなのが、ジョージ・デュークの1977年の「From Me To You」から1979年の「Brazilian Love Affair」までで、それ以降のアルバムはポップになりゴリゴリファンクではなくなっていった。
アルバムごとに多少メンバーが違うが、レオン・チャンクラーのドラムとバイロン・ミラーのベースで強靭なファンクビートを作り出し、シーラ・エスコヴェード(後のシーラ・E)のパーカッションが絡み、ジョージ・デュークのファンキーなキーボードと歌で独特のジャズ・ファンクが展開される。
ジョージ・デュークはフランク・ザッパのバンドに在籍していたこともあり、楽曲によってはザッパの影響を聴き取れることができる。
お勧めの1枚と言われると悩むが、1978年の「Don't Let Go」は最高にカッコいい。
1960年代の後半から、マイルス・デイヴィス等ジャズのミュージシャンが電気楽器とロックのスタイルを取り込んだエレクトリック・ジャズやジャズ・ロックの作品を発表するようになった。これが後にクロスオーバー、フュージョンと呼ばれるようになるが、私の好みはゴリゴリの16ビートファンクである。
そのアンテナに引っかかったのが、ジョージ・デューク、ブレッカー・ブラザーズ、レニー・ホワイト(アルバム「Stream Line」しかちゃんと聴いてないが、10代のマーカス・ミラーが参加)等で、いまでも愛聴となっている。
ロック側からのファンクへのアプローチは以外に少なく(私の知識内でだが)、ジェフ・ベックの「Blow By Blow」以降のアルバムくらいしか思いつかない。
特に好きなのが、ジョージ・デュークの1977年の「From Me To You」から1979年の「Brazilian Love Affair」までで、それ以降のアルバムはポップになりゴリゴリファンクではなくなっていった。
アルバムごとに多少メンバーが違うが、レオン・チャンクラーのドラムとバイロン・ミラーのベースで強靭なファンクビートを作り出し、シーラ・エスコヴェード(後のシーラ・E)のパーカッションが絡み、ジョージ・デュークのファンキーなキーボードと歌で独特のジャズ・ファンクが展開される。
ジョージ・デュークはフランク・ザッパのバンドに在籍していたこともあり、楽曲によってはザッパの影響を聴き取れることができる。
お勧めの1枚と言われると悩むが、1978年の「Don't Let Go」は最高にカッコいい。