70年代ロックや、ゴリゴリファンクが大好物な私だけど、そればっかりじゃ疲れる時もある。
時代の流れでお洒落でメロウな音楽が流行った時期(70年代後半~80年代)があり、いわゆるAORとかスムーズ・ミュージック、ソフト・フュージョンなどとジャンル分けされている。
このジャンルというモノは売る側の定義付けで、聴く方は気持ち良ければどうでもいいものである。
レコード屋やCDショップでどのコーナーにあるのか判ればいいと思う。
あまり細かく分け過ぎて探せないってことも・・・
私がいまでも聴いているアルバムはマイケル・フランクス1977年の「Sleeping Gypsy」とデオダート1978年の「Love Island」、シャーデー1988年の「Stronger Than Pride」である。
シャーデーは女性ソロシンガーと思っていたが、シャーデー・アデュのヴォーカルと3人のバック・ミュージシャンからなるバンド名ということを、私はいまwikiで知った。(笑)
「Sleeping Gypsy」はトミー・リピューマ(プロデューサー)とアル・シュミット(レコーディング&ミキシング・エンジニア)の黄金コンビと凄腕ミュージシャン達でレコーディングされている。
参加ミュージシャンはクルセイダーズのジョー・サンプル(ピアノ)とウィルトン・フェルダー(ベース)、デヴィッド・サンボーン(アルト・サックス)、マイケル・ブレッカー(テナー・サックス)、ラリー・カールトン(ギター)・・・で、クールに抑えた絶妙なアンサンブルとソロを聴かせてくれる。マイケル・フランクスの代表曲で、アントニオ・カルロス・ジョビンに捧げた「Antonio's Song(アントニオの歌)」はこのアルバムに収録されている。
「Love Island」もトミー・リピューマ&アル・シュミット作品である。(プロデュースはデオダートとの共同プロデュース)
レコーディング・ミュージシャンはラリー・カールトンとクルセイダーズのロバート・ポップウェル(ベース)を中心に、ジョージ・ベンソン(ギター・ソロ)、ジョン・トロペイ(ギター)、"スタッフ"のゴードン・エドワーズ(ベース)、ハーヴィー・メイソン(ドラムス)、アース、ウィンド&ファイアーのアル・マッケイ(ギター)、ヴァーダイン・ホワイト(ベース)、フレッド・ホワイト(ドラムス)、フィリップ・ベイリー(なんとパーカッションのみで唄わず)、と豪華絢爛である。
このアルバムは特にこれからの夏におすすめです。
「Stronger Than Pride」は私には意外に新しい1988年の作品。(笑)
バンドとしてのシャーデーにはドラマーがいない。ということはドラムは打ち込みである。
人間のビートが好きな私は打ち込みモノが好きになれないのだが、このアルバムは打ち込みってことを感じさせないどころか、ドラム・マシンを踊らせてるようにすら感じる。
"Paradise"は1コードで、"Nothing Can Come Between Us"は2コードでシンプルだけどカッコいい曲のお手本である。
シャーデーは夜の音楽だなぁ・・・
今日はこのへんでm(_ _)m
オールマン・ブラザーズの1971年発表のフィルモア・イーストでのライブ・アルバムである。
オールマン・ブラザーズというとサザン・ロックの草分け的存在だが、デュアン・オールマンと弟のグレッグ・オールマンはフロリダ州デイトナビーチで育ち、オールマン・ジョイズ、アワーグラスを経て、1969年にフロリダ州ジャクソンビルでオールマン・ブラザーズ・バンドが誕生した。
デュアン・オールマン:ギター、スライドギター
グレッグ・オールマン:キーボード、ヴォーカル
ディッキー・ベッツ:ギター
ベリー・オークリー:ベース
ブッチ・トラックス:ドラムス
“ジェイモー”ジェイ・ジョハンソン:ドラムス
というメンバーで、ツインドラムであった。
彼らの3作目にあたる「At Fillmore East」は"Sky Dog"とあだ名されたデュアンの豪快なスライド・ギターをフィーチャーした"Statesboro Blues"、ブルーズの”Stormy Monday"、インストの”In Memory of Elizabeth Reed"20分以上に渡るジャムが展開される"Whipping Post"など、熱演を収録した2枚組はビルボードのアルバム・チャートの13位を記録するヒットとなり、ライブ盤の金字塔として知られるようになった。
デュアン(熱烈なファンはデュエインと呼ぶ)はオールマン・ブラザーズ結成以前、ウィルソン・ピケットのアルバム・レコーディングをきっかけにマッスル・ショールズのフルタイム・スタジオミュージシャンとして数多くのアーティストの作品に参加して注目を集め、エリック・クラプトンらと知り合う。
「At Fillmore East」の前年にはクラプトンのデレク・&ザ・ドミノス「Layla and Other Assorted Love Songs(邦題いとしのレイラ)」に参加し、クラプトン以上にソロをとる大活躍をした。
「At Fillmore East」が1971年の夏に発売され、バンドに初めての成功がもたらされたわずか数ヶ月後の10月29日、メイコンでの休暇中にデュアンはハーレー・ダヴィッドソンのバイクを運転中、目の前で急停止したトラックをよけようとして衝突、バイクから投げ出された。その後病院に運ばれたものの内臓損傷により数時間後に24歳という若さで亡くなった。
翌年、デュアンに続きベリー・オークリーもオートバイ事故により亡くなってしまう。デュアンの事故現場から僅か3ブロックしか離れていないところでの事故であった。
二人の死後もメンバーチェンジ、解散、再結成を繰り返しながら現在はドラムスのブッチ・トラックスの甥であるデレク・トラックスがデュアン張りのスライドを弾いているが、"Sky Dog"デュアンを超えるスライドは誰にも弾けないだろう。
オールマン・ブラザーズというとサザン・ロックの草分け的存在だが、デュアン・オールマンと弟のグレッグ・オールマンはフロリダ州デイトナビーチで育ち、オールマン・ジョイズ、アワーグラスを経て、1969年にフロリダ州ジャクソンビルでオールマン・ブラザーズ・バンドが誕生した。
デュアン・オールマン:ギター、スライドギター
グレッグ・オールマン:キーボード、ヴォーカル
ディッキー・ベッツ:ギター
ベリー・オークリー:ベース
ブッチ・トラックス:ドラムス
“ジェイモー”ジェイ・ジョハンソン:ドラムス
というメンバーで、ツインドラムであった。
彼らの3作目にあたる「At Fillmore East」は"Sky Dog"とあだ名されたデュアンの豪快なスライド・ギターをフィーチャーした"Statesboro Blues"、ブルーズの”Stormy Monday"、インストの”In Memory of Elizabeth Reed"20分以上に渡るジャムが展開される"Whipping Post"など、熱演を収録した2枚組はビルボードのアルバム・チャートの13位を記録するヒットとなり、ライブ盤の金字塔として知られるようになった。
デュアン(熱烈なファンはデュエインと呼ぶ)はオールマン・ブラザーズ結成以前、ウィルソン・ピケットのアルバム・レコーディングをきっかけにマッスル・ショールズのフルタイム・スタジオミュージシャンとして数多くのアーティストの作品に参加して注目を集め、エリック・クラプトンらと知り合う。
「At Fillmore East」の前年にはクラプトンのデレク・&ザ・ドミノス「Layla and Other Assorted Love Songs(邦題いとしのレイラ)」に参加し、クラプトン以上にソロをとる大活躍をした。
「At Fillmore East」が1971年の夏に発売され、バンドに初めての成功がもたらされたわずか数ヶ月後の10月29日、メイコンでの休暇中にデュアンはハーレー・ダヴィッドソンのバイクを運転中、目の前で急停止したトラックをよけようとして衝突、バイクから投げ出された。その後病院に運ばれたものの内臓損傷により数時間後に24歳という若さで亡くなった。
翌年、デュアンに続きベリー・オークリーもオートバイ事故により亡くなってしまう。デュアンの事故現場から僅か3ブロックしか離れていないところでの事故であった。
二人の死後もメンバーチェンジ、解散、再結成を繰り返しながら現在はドラムスのブッチ・トラックスの甥であるデレク・トラックスがデュアン張りのスライドを弾いているが、"Sky Dog"デュアンを超えるスライドは誰にも弾けないだろう。
1975年リリースの「The Last Record Album」直訳すると「最後のアルバム」となっているが、ジャケット裏の「High Roller」の歌詞のところには「maybe next time」と書かれていて、1977年リリースの「Time Loves A Hero」にちゃんと「High Roller」は収められている。
リトル・フィートは1969年、フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションのメンバーだったローウェル・ジョージ(スライド・ギター、ヴォーカル)、ロイ・エストラーダ(ベース)を中心にロサンゼルスで結成。2枚のアルバムを発表したが、商業的成功には結びつかず、一旦解散してしまう。
1972年に復帰。エストラーダが脱退し、後任としてケニー・グラッドニーが加入。また、新たにポール・バレア(ギター、ヴォーカル)、サム・クレイトン(パーカッション)もメンバーに加わった。新メンバーにより、1973年にアルバム「Dixie Chicken」を発表。タイトル曲に見られるようにニューオーリンズ、南部色を感じさせる音楽性は、過去2作から一歩踏み出した感のあるものであった。
ローウェル・ジョージ:スライド・ギター、ヴォーカル
ポール・パレア:ギター、ヴォーカル
ビル・ペイン:キーボード、ヴォーカル
ケニー・グラッドニー:ベース
リッチー・ヘイワード:ドラムス
サム・クレイトン:パーカッション、ヴォーカル
この6人がフィートの黄金期のメンバーである。
「The Last Record Album」からビル・ペインとポール・パレアのジャズ、フュージョン的な要素が濃くなり、ローウェル・ジョージはドラッグで体調を崩していく。
ローウェル・ジョージにとってはまさに「The Last Record Album」だったのかも知れない。
しかしこのアルバムはフィートの最高傑作と評価され、名曲「Long Distance Love」は楽曲の良さと画期的なリズムアレンジで鳥肌ものである。
日本のミュージシャンの間でもフィートは大人気で、鈴木 茂はソロ・アルバム「Band Wagon」でフィートと共演し、ローウェル・ジョージ丸出しのスライド・ギターを弾いていた。
矢野顕子のファーストアルバム、『JAPANESE GIRL』には、リトル・フィートがバックバンドとして参加した。
サザン・オール・スターズはメンバー構成はフィートと同じで、学生時代にはフィートのコピーもやっていたらしく、「いとしのフィート」なる曲まである。この路線で進んでくれていたら私もファンになっていたのだが(笑)
ローウェル・ジョージはフィートの方向性に違和感を感じ、1979年にソロ・アルバム「Thanks I'll Eat It Here」をリリースするが、その直後心臓発作で亡くなる。
1988年、残ったメンバー5人を中心にバンドを再結成し、コンスタントにアルバムを発表し、ライブ・バンドとしての存在感を示すライブ・アルバムも多くリリースするが、オリジナルメンバーで私が大好きなドラマーのリッチー・ヘイワードが2010年8月12日に肝臓ガンで亡くなる。64歳であった。
私のフィートの歴史は完全に幕を閉じてしまった。Richie, Rest in Peace・・・
リトル・フィートは1969年、フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションのメンバーだったローウェル・ジョージ(スライド・ギター、ヴォーカル)、ロイ・エストラーダ(ベース)を中心にロサンゼルスで結成。2枚のアルバムを発表したが、商業的成功には結びつかず、一旦解散してしまう。
1972年に復帰。エストラーダが脱退し、後任としてケニー・グラッドニーが加入。また、新たにポール・バレア(ギター、ヴォーカル)、サム・クレイトン(パーカッション)もメンバーに加わった。新メンバーにより、1973年にアルバム「Dixie Chicken」を発表。タイトル曲に見られるようにニューオーリンズ、南部色を感じさせる音楽性は、過去2作から一歩踏み出した感のあるものであった。
ローウェル・ジョージ:スライド・ギター、ヴォーカル
ポール・パレア:ギター、ヴォーカル
ビル・ペイン:キーボード、ヴォーカル
ケニー・グラッドニー:ベース
リッチー・ヘイワード:ドラムス
サム・クレイトン:パーカッション、ヴォーカル
この6人がフィートの黄金期のメンバーである。
「The Last Record Album」からビル・ペインとポール・パレアのジャズ、フュージョン的な要素が濃くなり、ローウェル・ジョージはドラッグで体調を崩していく。
ローウェル・ジョージにとってはまさに「The Last Record Album」だったのかも知れない。
しかしこのアルバムはフィートの最高傑作と評価され、名曲「Long Distance Love」は楽曲の良さと画期的なリズムアレンジで鳥肌ものである。
日本のミュージシャンの間でもフィートは大人気で、鈴木 茂はソロ・アルバム「Band Wagon」でフィートと共演し、ローウェル・ジョージ丸出しのスライド・ギターを弾いていた。
矢野顕子のファーストアルバム、『JAPANESE GIRL』には、リトル・フィートがバックバンドとして参加した。
サザン・オール・スターズはメンバー構成はフィートと同じで、学生時代にはフィートのコピーもやっていたらしく、「いとしのフィート」なる曲まである。この路線で進んでくれていたら私もファンになっていたのだが(笑)
ローウェル・ジョージはフィートの方向性に違和感を感じ、1979年にソロ・アルバム「Thanks I'll Eat It Here」をリリースするが、その直後心臓発作で亡くなる。
1988年、残ったメンバー5人を中心にバンドを再結成し、コンスタントにアルバムを発表し、ライブ・バンドとしての存在感を示すライブ・アルバムも多くリリースするが、オリジナルメンバーで私が大好きなドラマーのリッチー・ヘイワードが2010年8月12日に肝臓ガンで亡くなる。64歳であった。
私のフィートの歴史は完全に幕を閉じてしまった。Richie, Rest in Peace・・・