帰宅するとすでに、3つ、焼いてありました。


帰宅してすぐに姑につかまり、いかに姑が今日疲れたのか、その疲れ具合と原因を説かれ、「だから今日はなんにも作っていないのよ」と言われたのだけれども、キッチンに行くと味噌汁ができていて、鮭が焼いてあり…。
「疲れているっていうのに、ごめんね、ありがとう、すみません」と、私が言うと、姑はまんざらでもないというような表情で、「いいのよぉ、これくらい…」とかいう展開でした。

で。

そんなやりとりをしてから2階で化粧を落としていると、旦那が帰宅したので少し話をして、その後でキッチンに降りていくと、いかにも疲れた風に、姑が一人で食事を食べているところでした。
姑が、「この鮭は味が薄いわ…」とつぶやいたのを幸いに、「じゃあちょっと、加工しようかなべーっだ!」みたいな具合で、チンゲンサイを軽く炒めて、中華風のソースであえたものを作ると、すかさず姑、チェックです。

お口にあったようで幸いですが、…なー…。




ていう、こういう話もさ、私が姑のことが好きだったら、すっごい仲の良い嫁姑のほほえましい風景なんじゃあないかと思うんだよなー。

で、姑は私のことが好きというか依存しているので、自分的にはすっごい、すてきな嫁姑の関係が築けているって思っているのかもしれない。もしくは(私がすっごい我慢して嫁に合わせてあげているから、こんなに友好的音譜)って思っているかも知れないけど…。

だから、思っていることとやっていることに対するギャップが、またしても新たなギャップを生むっていうことだね。

私もいい加減、「良い嫁であろう」とか思わない方がいいよ。
って、毎日、思っているんだけどなー。

プライドが高いんだな、私。そのくせ自分に幻滅しているよ。

「鮭、解凍しておくわね」と姑に言われました。

あー、この微妙なニュアンス。

約1年間、魚=ただ焼く だったので、それには正直もう飽きているんだが、調理しても良いんだろうか悩む。
「鮭を使った」にしたいんだが、どうなんだ。

姑はそれでも全然OKなんだろうけど(自分で決めて焼いてくれていたのだから)、なー。

今までもずっとそうだったけど、ちょっと何かを調理するだけで、根掘り葉掘り聞いてきて、おいしそうねーおいしそうねーとか言われるのも面倒だね。(肉入りじゃないモノは食べていただいています)


食材指定。
しかも魚だから姑は食べられる。
焼いてあったら(…飽きた…!)ってなるし、
3尾とも焼いてなかったら、(…どうしたら…!)ってなる。
姑の分も作ってあげれば良いんだろうが、そうすると、旦那好みになりにくいというか…。そんなに美味しく作れるか?っていうのもあるしね、もにょってしまうのよね…。
ちょっとどうぞ、っていうのなら大丈夫なんだけど、姑にも作ってあげる! ていうのには、抵抗があるなー。ずるいようだけど…。

姑、自分の分だけ、好きなように焼いてくれてあったらいいのにと思うよ。


一つの山を越えると、また一つの山が見えるのね。

それが同居ってもんか。

少なくとも、いじめられないだけ、ましか。




つうか、自分の甘えた嫁っぷりが、なんか情けないというかみっともないというか。
正解がわかっているのに、それをしたくない自分が、すっごい駄目人間だと思う。

いやー。
なんか知らないけど会社でお客さんに「疲れてるの?」って聞かれたのを皮切りに、いつもは人の顔色とか知らないフリする同僚にまで「疲れてるのか?」って言われ、帰宅すれば姑に「疲れているの?」とご心配いただき、旦那に至っては「かわいそうだから言わなかったけど…疲れてそう…」と同情される、そんな具合のふくにです。

疲れてるという自覚症状はなかったんだけど、人に「疲れてる?」とか言われると、そんなような気がしてくるのはどうしてでしょうかね。
甘えてるんでしょうかね。



いやしかし。

なんつうのか、姑は、事件を呼ぶというか。いや大げさか。

私が疲れているとしたら、それは仕事でではないね。確実に姑関連だね。あと旦那ね。

まあ旦那は、ちょっとイラっとするくらいで済むけど、姑のはもう、波状攻撃だよもう。



検診で引っかかる→精密検査 編(異常なく解決済みだがまだ話題には上る)

車をぶつける→保険屋さん 編(進行中)

いまのとこの大きなトピックスはこんな具合で、
あとは日々、小さな「大変よ!」に囲まれて生きているかんじ。


夕食の件が別になったことで、ちょっと気が楽になったんだけど、
それでもやっぱり、いろいろと気を遣ってくれて、ありがたいんだけど、
その気の使われ方は私には負担。

・冷凍庫に(肉・魚・その他)が入っているわよ
・買ってきておいたわよ
・賞味期限が迫っているわよ 的な。

冷蔵庫を開ける前に教えてくれんでも、見たらわかるわ!!!!

というような、日々です。