先日、こんな記事を書きましたが、
書きながら、いやこれ、もう一つ大事な要素がからまってるやん。
でも一緒に書くの、難しい。ってことで分けたものがありました。
そもそもの、何もしない時間が耐えられない理由。
「私には価値がない」という思い。
私には価値がないから、
常に何か自分の有用性を示していないと安心できなかったんですよね。
時間があったら何かを身に付けて、
少しでも役に立つ人間だと感じてもらいたい。
価値があると思ってもらいたい。
ここにいていいよ、と言ってもらいたい。
っていう、切実な願いがあった。
今思うと、なんて悲しい💧
設定変更を知った時に、なんかどうにかして自分には価値があると思えないもんだろうかと頑張ってみたことがあるんですが
無理でした。
胡散臭いし信じられないし。
だから、皆価値なんか無い、ということにしてみました。
凄いように見えるAさんも、
超お金持ちのBさんも、
華やかなCさんも、
みーーーんな、価値なんて無い。
刑務所に入ってる人たちやホームレスの人たちと同じ。
私とも同じ。
皆等しく価値がない。で、一旦そろえました。
これが、意外と良かったんですよね。
ハッキリした感覚はもう思い出せないんですけど。
そのうち、「価値がない」より「価値がある」で揃えるほうが、自由度が高い気がしたので、
そっちで揃えることにしました。
凄いように見えるAさんも、
超お金持ちのBさんも、
華やかなCさんも、
刑務所に入ってる人たちやホームレスの人たちも、等しく価値がある。
私にも、等しく価値がある。
ということは、もう、「存在している=価値がある」でいいか、ということになりました。
素晴らしいとか素晴らしくないとか、
何が出来るとか何ができないとか、そんなことどうでもよく、
ただ存在しているなら、価値があるんだろう。
存在することを許されているなら、何かしら価値があるんだろう。
私には分からないけど。
そう開き直ることにしました。
で、
この時に、存在しているという価値を、
どんなものよりも大きなものとしたんです。
色はいい感じなんだけど、めちゃめちゃ固い🤔
最近のお気に入りに
「私の存在価値には1ミリも影響しない」っていう文言があるんですが、(私が勝手に言ってるだけ)
何が起きても、私が存在していることには変わりない。=価値には影響しない。
という意味です。
言うたら、「死にはしないし」ってことです。
ただ、「どうせ死にはしないし」って言うのと
「私の存在価値には1ミリも影響しない」って言うことは、体感が全然違うんですよね。
前者だと、しんど…😮💨となるけど、
後者だと、じゃあいいか😗となる。
なので、そっちを使っています。
少しずつ許容できることが増えてきているのを感じるので、
私には合っているなと思っています🍀