先日姫路におでん食べ放題のお店に行ってきました![]()
インスタのリールで流れてきて、意外とおでん食べ放題って珍しいなぁと思い、すかさず友人にDM送りつけました(笑)
友人言うても一回り以上若い人なんですけどね。
こう見えて私はあんまりお酒が好きではなく、お酒に良いイメージも無い。
母と旦那の影響で(笑)
自分は好き勝手してるくせに、支配的で。
自分だけ頑張って、自分だけ辛いと思ってる。
私は楽に生きてて、いつも楽しそうで、良いよねって思ってる。
母と旦那は生きた年代も環境も性別も性格も何もかも違うのにそこは同じで面白いなぁと思う。
学生の頃は誰かに相談しても『お母さんもお酒でも飲まなきゃやってられないんよ』と慰められる。
結婚してからも言われた。
ほんじゃお酒飲めない人は、どうしたらいいの?
ずっと思ってた。
飲んで忘れられるのか?
飲んでずっと愚痴言ってて何か変わるの?
愚痴何回か唱えたら次への扉開くんか?
ずっと謎だった。
同じことをしてみたけど、体質にも合わないし、飲んだら余計にしんどくなる。
体がしんどいと入ってくる情報が2割り増しでネガティブに映る。
でも皆んな楽しそうだったから、これが楽しいことなんだと思ってた。
確かに楽しい瞬間もあるけど、これ楽しいのか?と長いこと思ってた。
だけど、この日はふとただ楽しんでいいんだと思った。
昔、あんたは楽しそうで良いよねって母や旦那やかつての友人の言葉があんたは気楽で良いよねって聞こえてた。
苦労してなくて、無責任に生きられて良いよねって言われてるように聞こえた。
私は苦労しないとダメなんだと思ってた。
楽しそうにしたらダメなんだと思ってた。
楽しむのは何かと引き換えなんだと思ってた。
ま、そういう側面もあるかもやけど。
別に何かあったわけでは無く。
その瞬間は突然訪れて呪縛が溶けた。
多分それはかけようとした呪縛〈ことば〉ではないのだと思う。
何かに疲れて出た言葉だったかもしれないし、ただそう思っただけの深い意味の無い言葉だったのかもしれない。
つまり母の苦労に私は関係ないってことです。
でも幼かった私は酔ってグダグダになってる母を見て、私だけ幸せでごめんね、私だけ楽でごめんね、一緒に苦労してあげられなくてごめんね、そう感じていた。
けど、言語化はできてなかった。
幼い頃にそう感じた思い〈種〉は私の中で誤変換〈成長〉されていて、それに付随して起きてたバグ〈ダンナの言動〉があった。
それに気づいただけなんですけどね。
その日、表面上はただの飲み会だったのですが、私の中ではこんな事が展開されていました![]()
私の中にあった意味不明の罪悪感の元は母への愛だったんやな。
素が愛故に内側への食い込みが凄いんやな。
主成分が同じなんやもんな。
その後ライトアップされてる姫路城へ向かいました。
幸せになっていいんですよ、私たち。
誰にも遠慮はいりません。
誰かを思い、苦しまなくていいんですよ。
苦しんでる意識さえなかったけども(笑)




