作者について
『歎異抄』は親鸞没後二十年~三十年後、つまり西暦一三〇〇年前後に水戸の河和田の唯円によって記されたと推定されています。
『歎異抄』成立から現在まで約七百年の時がたっていますが、作者が河和田の唯円であるというのが定説になったのは約百年前であり、それ以前はそうではありませんでした。
つまり唯円説は『歎異抄』誕生から見ていけば新説といっても過言ではないのです。
唯円以外の作者説は次の通りです。
(如信説)如信とは親鸞の孫にあたる人物であり、如信にとって親鸞はおじいちゃんになります。如信は小さいころに親鸞と一緒に住んでいたため、親鸞の生の言葉を聞いています。
(覚如説)覚如とは親鸞の曾孫にあたり、覚如にとって親鸞はひいおじいちゃんになります。覚如は「御伝鈔」や「親鸞伝絵」など親鸞に関する書物を多く残しています。
(鳥喰の唯円説)親鸞には唯円という名前の弟子が二人いました。それが河和田の唯円と鳥喰の唯円です。現在は『歎異抄』を記したのは「河和田の唯円」が定説になっています。水戸市内の河和田の報仏寺が、唯円開基とされています。