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『歎異抄』の歴史

 『歎異抄』の一番最後の所には「この聖教(しょうぎょう)は、当流(とうりゅう)大事(だいじ)の聖教たるものなり。無宿(むしゅく)(ぜん)()においては、左右(さう)なくこれを許すべからざるものなり」と、蓮如(れんにょ)が書いた一文があります。

 

蓮如とは本願寺(ほんがんじ)第八代の真宗中興(ちゅうこう)()で有名な人です。

 

意味を順に見ていきますと「右、この聖教は」の聖教は『歎異抄』を指します。「当流(とうりゅう)大事(だいじ)聖教(しょうぎょう)たるものなり」とは、真宗で大事な教えであるということです。

 

「無宿善の機」とは仏教用語で少し難しい言葉ですが簡単にいうと、まず「宿善」とは前世に積んできた善根のことをいいます。

 

ですから「無宿善の機」とは仏教をそんなに勉強をしていない人、理解していない人のことを指します。

 

そのような人に見せると誤解や混乱が生じるおそれがあるので「左右なくこれを許すべからざるものなり」ですから、無造作に見せてはいけないよ、といった意味です。

 

そういう訳で『歎異抄』は江戸時代に聖典に組み込まれましたが、一部のお坊さんにしか読まれて来ませんでした。