起こす (マルコ 5章_七巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

イエス様の命の言を育てて食す

食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

大きく、深く、広く持ちて下されよ

愈々となるまでは落しておくから
見当とれんから、よくこの神示読んで
おいて下されよ

世界ぢゅうに面目ない事ないよに
せよと申してあろが

足元から鳥立ちてまだ目覚めんのか

神示 裏のまでよく読めと
申してあろがな






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あなたの娘はなくなりました

このうえ、先生を煩わすには
及びますまい

イエスはその話している言葉を聞き
流して、会堂司に言われた

恐れることはない

ただ信じなさい

そしてペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟
ヨハネのほかは、ついて来ることを
だれにもお許しにならなかった

彼らが会堂司の家に着くと、イエスは
人々が大声で泣いたり、叫んだりして、
騒いでいるのをごらんになり、

内にはいって、彼らに言われた

なぜ泣き騒いでいるのか

子供は死んだのではない

眠っているだけである

人々はイエスをあざ笑った

しかし、イエスはみんなの者を外に出し、
子供の父母と供の者たちだけを連れて
子供のいる所にはいって行かれた。

そして子供の手を取って、

タリタ、クミ、と言われた

少女よ、起きなさい、という意味である

すると、少女はすぐに起き上がって
歩き出した

十二歳にもなっていたからである

彼らはたちまち非常な驚きに打たれた














イエス様にできないことはありません


救いの神様だからです


親神様の権威を授かっているからです


死者を呼び戻すこともできます


眠りから覚ますこともできます


ですが、人にはできません


だから疑います


否定します


ときに、バカにして、あざ笑います


イエス様と自分を同列に見ているからです


自分に無理なことは、イエス様にも
無理だと決め付けるからです


ですが、人は、神様に似せて造られ
ましたが、似ていても決定的に違います


本物と贋作は違うのです


中身が違うのです


人は、マコトを失っているのです


だからこそ、イエス様を入れることが
大事になります


イエス様で、心を満たすことが
大切になります


自分を満たしても、苦しくなるだけです


ひたすらに、イエス様を求めることです


そうすれば、やがては目覚めるのです


起き上がるのです


よくよくの咀嚼、大切です



イエス様の御国が来ますように


本日は以上となります
ありがとうございました