歓迎 (マルコ 6章_七巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

イエス様の命の言を育てて食す

食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

見晴らし台とは身を張らすとこぞ

身を張らすとは、身のなか神にて張ることぞ

臣民の身の中に一杯に神の力を
張らすことぞ

大庭の富士を探して見よ

神のが出て来るから
それを大切にせよ

富士を開くとはに神を満たすことぞ


日向とは神を迎えることぞ

日向はその使ひぞ

日向は神の使ひざから、九の道
早う開ひて呉れよ、早う伝へて呉れよ






ご訪問頂きありがとうございます
どうぞよろしくお願いします






この人は、これらのことをどこで
習ってきたのか

また、この人の授かった知恵はどうだろう

このような力あるがその手で
行われているのはどうしてか

この人は大工ではないか

マリヤの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、
シモンの兄弟ではないか

またその姉妹たちも、ここにわたしたち
と一緒にいるではないか


こうして彼らはイエスにつまずいた


イエスは言われた

預言者は、自分の郷里、親族、家以外では
どこででも敬われないことはない

そして、そこでは力ある業をひとつも
することができず、ただ少数の病人に
手をおいて癒されただけであった

そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた











願いを叶えてくれるから、になる
わけではありません


皆に慕われているから、自分慕う
わけではありません


多くの人たちから迫害を受けているから
自分、それに参加するわけではないのです


歓迎されない


受け入れられない


石を投げられる


これほどに、悲しいことはありません


会いたくない


近づきたくない


嫌煙されることは、辛いことです



信心の道に入っても、すぐに
なり、幸せになることはありません


返って、苦しみが増すこともあります


問題が生じるのです


借銭済ましだからです


掃除・洗濯だからです


聖霊が、荒野に連れ出すからです


それでも、イエス様を歓迎する
ことが大切になります


見捨てないことです


蘇民になることです


巨旦にはならないことです


よくよくの咀嚼、大切です



イエス様の御国が来ますように


本日は以上となります
ありがとうございました