原題は

嘘つきの都市(city of lie)。

 

ロサンゼルス市警を中心に、

ロサンゼルスという都市が

どれぐらい嘘で成りたち、

嘘によって守られているか

を描いた映画です。

 

自分の住んでいる街が、

正義を守るべき組織の、

こんなに薄汚い不正

によって成り立っているのか、

などとは

あまり知りたくないでしょう。

 

でも

「自分は不正な社会に住んでるんだ」

と思いながら暮らしている場合と、

「自分は不正など全然ない社会に住んでて

幸福だ」

と感じながら暮らしている場合

を比較すると、

前者の場合の方が

ずっとまし。

 

後者は

政治・経済・メディアの権力が

一体となっている

全体主義的社会

に暮らしている場合

だからです。

 

権力をもつ人たちにとって

都合のよい情報しか流れない社会

ということです。

 

『L.A.コールドケース』

のような映画をみると、

「この社会はなんて腐ってるんだ!」

と観客は感じるのですが、

一方で

その腐った部分、

権力者にとって知られたくない部分、

を明らかにする人びとがいる希望

をも観客は感じさせられる。

 

これも

逆説の1つなのかも

しれません。

ツバメが

飛ぶ練習を

してます。

 

もちろん

ツバメが

そう言ってたわけでは

ありません。

 

でも、

見ていると、

最近巣立ったのが

飛ぶ練習をしているように

見えるのです。

 

ひなのエサを捕まえようと飛ぶ

親の飛び方とは

まったく違う。

 

どこか下手くそで、

どこか懸命で、

でも、なんだか

気持ちよさそうでもあって。

 

飛ぶこと自体が

目的のようで。

 

つまり

遊んでいる

ようにも見える

のです。

 

暑すぎて

本など集中して読めない季節

ですね。

 

と、気候のせいにして

自分の不勉強を正当化する毎日

です。

 

本の片づけをしていて

発見したのが

笠原芳光『イエス 逆説の生涯』

でした。

 

なんでこんな本を買ったのか

と自分で自分を不思議に思いながら、

捨てようかどうしようか迷い、

ちょっと読んでから決めることにしました。

 

読みはじめてからは

なんでもっと前に読まなかったんだろう

と自分で自分の眼力を悔いました。

 

二回読みました。

それほどに

おもしろいと思いました。

 

笠原さんは

特定の教団に属する人では

ありません。

 

特定の教団や宗派に属する人が宗教について書いたもので

おもしろいと思ったものに出会ったことは

これまでありません。

 

イエスは自分で自分のことを

「キリスト(救い主)」などと自称しなかった。

 

イエスを「キリスト」に祭りあげたのは、

イエスの死後、

さまざまな思惑をもつ人びとだった。

 

宗教性は、逆説にある。

たとえば

イエスはただの人間であり、

だからこそただの人間ではなく、

この逆説に救いの可能性がある、

マルコの福音書にだけ

それが表現されている。

 

本書の中心をなす主張は

以上のように要約できるでしょう。

※「離脱」という魅力的なテーマもありますが、

また別の機会に取りあげたい

と思います。

 

逆説について

もう一か所

引用しておきます。

 

「イエスが絶望して、

神を捨て去って死んだからこそ、

われわれは神に捨てられたと思っても、

あるいは神を捨て去っても

よいのである。

それこそが深い慰めであり、

強い力づけではないか。

 神は死んだ、そして人間は死んだとは、

ニーチェやフーコーよりもはるか以前に

イエスが言い、またなしたことでは

なかったか。

人間について、

そして神に対する絶望なくして、

希望などということは

生まれてこない。

そこから、あらためて

人間とはいったいなにか

という探究が始まる。」

 

次回のテーマが未定のままですが、

「逆説について」

もいいなと

考えています。

 

以前、「矛盾について」

という似たようなテーマを設定したことが

ありますが。

 

たとえば

「哲学カフェでは、

大きな声で自信たっぷりに自説を主張すればするほど、

その説は相手の耳には入らず、

相手の心にはもちろん届かず、

だれをも納得させられない

ことが多い」

とか。

 

「変われば変わるほど、

同じまま」

というのが

フランスのことわざにある

というのを読んだことも

あります。

 

「悪人正機」も

逆説ですね。