昨日
エディプス王の悲劇
について、
逆説のエピソードの1つとして
紹介しました。
たまたま
『灼熱の魂』
を見ました。
※いわゆる
リバイバルもの
です。
なんと、
エディプス王の悲劇
を、
現代風にアレンジしたもの
ではないか。
そんなふうに感じさせる、
濃厚な映画でした。
昨日
エディプス王の悲劇
について、
逆説のエピソードの1つとして
紹介しました。
たまたま
『灼熱の魂』
を見ました。
※いわゆる
リバイバルもの
です。
なんと、
エディプス王の悲劇
を、
現代風にアレンジしたもの
ではないか。
そんなふうに感じさせる、
濃厚な映画でした。
ある国の王に
息子ができました。
その子について
王は
ある予言を受けました。
「その子は
将来、おまえを殺し、
おまえの妃を娶るだろう」
と。
この予言を信じた王は
「ええ~~~!?」
と驚き、
息子を殺すように
家来に命じました。
家来は
何の罪もない子を
殺すことはできませんでした。
そして
部下に
その子を山中に捨ててくるよう
命じました。
孫請け
ですね。
でも、
その部下も
この子をかわいそうに思い、
ある羊飼いの夫婦に
預けました。
羊飼い夫婦は、
子どものいない
ある国の王に、
その子を
あげました。
立派な青年に育った
その子どもは
ある時、
予言を受けました。
「おまえは
父を殺し、
母を娶るだろう」
と。
「ええ〜〜!!!???」
と、おののいた青年は
予言どおりにならないように、
旅立ちます。
旅の途中で
ある男と諍いになり、
その男を殺しました。
じつは
その男とは
自分を殺そうとした
あの王、
つまり
自分の父親でした。
そんなことには
まったく気づかず、
青年は旅をつづけ、
ある国に
到着しました。
その国でいろいろありましたが、
結局、その国の王と
なりました。
そして妃と
夫婦になりました。
じつは
その妃は
自分の母親でした。
自分が父親を殺し、
母親と結婚した
という事実を
後に知った青年は、
自分はなんとおそろしいことをしたのかと、
自分の目を剣で突き、
ふたたび旅に出ました。
エディプス王の悲劇
を要約すると、
以上のようになります。
この悲劇の物語に
多くの人が感動を覚えるのは、
父親への憎悪・母親への愛
を男の子は抱くのだが、
その感情・欲動が
父親の権威によって抑圧され、
無意識的な感情・欲動
となっているからだ、
と説明したのが
フロイトの
「エディプスコンプレックス」概念
でした。
つまらない説明です。
一時的には
おもしろがられた
のですが。
この悲劇を
逆説のエピソード
として捉えたのが
ポパーという人でした。
科学哲学の人です。
運命に立ち向かうのではなく、
運命から逃れよう逃れようとしたら、
結果としては
運命のとおりになってしまった。
そういう逆説の物語として
この悲劇を解釈すべきだ
とポパーさんは
言いました。
逃げるのも
場合によっては
大切
と思います。
でも
逃げたら
かえって
その避けたかったことが
起きてしまう。
問題は
逃げた方がいい場合と、
逃げずに立ち向かった方がいい場合との
見極めなのでしょう。
そんな見極め
ようしません。
毎日毎日
通俗的な道徳を基準にして
他者をほめたり、けなしたり
している
この私。
偏狭な判断ばかりしている
この私。
そんな自分に気づかせてくれるのが
映画『きっと地上には満天の星』
でした。
道徳や善悪を基準にすれば
主人公の母親は
子どものことを考えない
わがままな親にしか
すぎません。
でも
そんな母親の必死さを
映画は描きつづけます。
道徳や善悪によっては
捉えられない
人間の姿が、
素朴な私にも
だんだんみえてきます。
世間の道徳や常識に
意味がないとはいいません。
そもそも
それらを無視しては、
世間で生活できません。
でも、
道徳や常識だけを基準にしていると
味気ない生活になってしまいそう。
道徳や常識だけを基準にして
他者を判断していては、
大切なことを
見逃してしまいそう。
真や美を
見逃してしまいそう。
生きる味わいが
なくなってしまいそう。
いずれにしても
パワフルな作品でした。