最近

法然さんのことに関心があり、

知恩院を訪ねました。

 

おみやげの売店でみつけたのが、

司馬遼太郎『法然上人とわたくし』

という小冊子。

 

本屋には

売っていません。

 

知恩院おてつぎ文化講座

というのが

昭和42年(1967年)4月から始まり、

翌月の第2回の講座で講演したのが

司馬遼太郎。

 

そのときの講演を

活字化したもの

です。

 

歴史や仏教に無学な私には

たいへん勉強になりました。

 

その、勉強になった部分は

脇におき、

おもしろかったのが、

禅のお坊さんに関する

司馬遼太郎の感想。

 

500人くらい

禅宗のお坊さんの知り合いが

いるとのこと。

 

ちょっと引用します。

 

「禅宗の坊さんに共通している

非常に致命的にくだらないところは、

皆さん持っていらっしゃったような感じが

するんであります。

俗人の、我々普通の人間よりも以下の部分が

ございまして、

何も素行とか行動とかということを

言っているんでなくて、

人間そのものができていないところが

ございまして、

タヌキかキツネみたいな感じ

であります。

(中略)

ちょっとこの感じをうまく口で言えませんが、

自意識が強くて

うぬぼれが強くて、そして

人を下目に見て

自分だけが偉しと思って、

そのくせ自分は

だれが見てもくだらない人間である。

これほどこっけいな姿はありませんけれども、

禅を長いことやっていると

そうなるんであります。

天才的な人は別であります。……

ところが

普通の天才性を持っていない者が

禅などをやると、

やらない前の方がまし、

確かにましな感じ

であります。……

これは何も悪口ではなくて、

禅というのは

非常にそれほど劇薬である。」

 

浄土宗の総本山

での講演ですから、

多少は聴衆への

リップサービスも

あることでしょう。

 

でも

司馬遼太郎が指摘していることがらも

逆説の1つ

だと思います。

 

禅は徹底的に

自己を否定する。

 

なのに

その結果、

自惚れてしまう。

 

しかも

そのことに

無自覚。

 

悲劇ですね。

 

喜劇かな。

 

私なんか

確実に

野狐禅のワナに

陥るでしょう。

 

いまでも

十分自惚れ屋ですから。

 

 

 

すこし秋めいてきました。

 

セミの声も

やんでしまいましたね。

 

代わりに

秋の虫の音に

ほっとします。

 

ぼちぼち

頭の熱も収まり、

心も身体も

余裕が出てくる頃かな

と存じます。

 

9月は18日(日)に

実施予定となりました。

10:00~11:30、

場所はいつもの

「洋麺亭 さんれも」

(阪急夙川駅南側すぐ)

です。

 

参加の予約は不要です。

 

テーマは

「どんな逆説があるか?」

とします。

 

この世には

いろんな逆説的なことがらや現象が

あると思います。

 

「こんな逆説がある」

「これも逆説ではないか」

などなど、

みなさまからご報告・ご指摘いただき、

それぞれの逆説を深く味わっていきたいと

存じます。