昨年観た映画の中で

印象に残っているのは

『ノープ(NOPE)』です。

 

荒唐無稽な

モンスター映画です。

※「NOPE」の意味ですが、

「ありえない」と字幕では訳されていました。

 

登場人物たちの会話の

しょーもなさや、

細かいシーンの描写が

おもしろかったのです。

 

たとえば

大友克洋『AKIRA』の

あるシーンが

密かに埋め込まれていたり。

 

本作のポスターやチラシでは

「上を見てはいけない」

というキャッチコピーが

使われていました。

 

この映画の少し前に

『ドント ルック アップ(Don't look up)』

という映画が公開され、

これも「見上げてはいけない」

という意味ですね。

 

かつて

「上見て暮らすな、

下見て暮らせ」

が庶民の生活の知恵だった時代

が日本にもあった

と学校で習いました。

 

何か

そういう皮肉なメッセージが

両方の映画にはあるのかも

しれません。

 

 

次回のテーマですが、

2つ挙げていた候補に

ちょっと変更を加えて

「教えることのできることがら/できないことがら」

にしたいと思います。

 

ここで言う「教える」とは

広い意味での「教育」のこと

とお考えください。

 

たとえば

誰かに計算の仕方を教えることは

可能でしょう。

ことばを教えることも

可能でしょう。

 

でも

「主体的になることを

人に教えること」は可能でしょうか?

「教育によって

誰かを誠実な人や

責任感のある人にすること」

は可能でしょうか?

 

この世には

教えることができることがらと、

教えることのできないことがら

があるのではないか。

 

こんな変な問いかけをめぐって

話し合えればと思います。

 

次回2023年2月12日に実施予定の

哲学カフェin夙川のテーマを何にしようか、

まだ決まっていません。

 

候補は2つあります。

 

1つは

「人は自分で自分を変えることしかできないのに、

他者を変えようと無益な努力をする人が多いことについて」

です。

 

今回の哲学カフェの進行役を務めながら、

「相手の意識を変化させようとする人が多いなぁ……」

と感じていました。

 

そんなこと言いながら、

私自身も同類なのですが。

 

人が変化するのは

その人自身が「変わろう」と意志するときだけ

だと思います。

 

にもかかわらず、

多くの人が他者の意識や考え方を変えようとする。

そして

それが達成できないとき、

相手をバカにしたりする。

 

「あなたには、そういう面がないでしょうか?」

と自覚を迫るようなテーマです。

 

2つ目は

「答えを信じるよりも

問うことの方が大切ではないか?」

というテーマです。

 

今回の哲学カフェで、

お釈迦さんのことばを記録した本

をみんなに示しながら、

「先ほどの発言のことは

ここに書いてある!

これを読めばいい!」

をくり返す方がいらっしゃいました。

 

参加者一人ひとりが問いかけ、

一人ひとりが自分で何かに気づいたり、

自分なりの答えを見つける作業

を哲学カフェではおこなっているつもり

なのですが、

まるで「答えはすでにここに出ているんだ」

「ああだこうだ話しても仕方ない」

とおっしゃっているようで、

そこに参加者の多くは違和感を覚えたように

私には感じられました。

 

答えが出ているなら

ここに来て哲学しなくても

いいんじゃないか

という感じです。

 

そこで

「問いを深めることの意義」

を話しあえるようなテーマにしようか

と考え中です。

 

もう少ししてから

テーマを決定し、

お知らせしたいと思います。