今日は11月30日、明日から12月です。
買い物に行けば、もうクリスマスソングが流れています。

ギリギリだけど、1966年のミュージック・ライフ11月号です。



表紙は66年「赤ずきんちゃん」で全米2位のサム・ザ・シャムとザ・ファラオスです。
65年には、「ウーリー・ブリー」が全米2位になっています。日本でもヒットしてラジオからよく流れていました。


オルガンが印象的ですね。

60年代は、ユニークなヒット曲がたくさんあり、聴くと当時のことが頭に浮かんで来ます。私の一番好きな時代でした。

  



気がつけば1ヵ月ひとりごとをつぶやいてなかったです。

柿を柔らかくしてスプーンですくって食べようと思うのですが、なかなか柔らかくなりません。
柿といえば、クマはまだまだ出没していますが、先日、捕らえられたクマの胃の中を調べたら、殆ど柿だったそうです。
庭に柿ノ木があったら、実は全部とってしまった方が良いと言われています。





クマは山の中にいるものだと思っていた、町の中にいるなんて、考えもしなかった頃のヒット曲です。

好きな曲だけど、レコードもCDも持っていない、カセットテープの中にだけ残っているようなカセット・ミュージック。
今回は、ゼーガーとエバンスの「西暦2525年」です。



古くからの洋楽ファンでこの曲を知らない人はいないだろう、というくらい大ヒットした曲ですね。
当時はただイイね~と聴いていただけですが、歌詞を調べると、凄いことを言っているのです。
2525年には、まだ505年ありますが、その時はどうなっているのか、3535年には~4545年、5555年、6565年~1万年へと続きます。

ロボットが何でもするようになって、人間は色々な機能が必要なくなる、退化してしまう。
怖いですね。


 
  


ネブラスカ州出身のゼーガー&エバンスは、サイモン&ガーファンクルを目ざして、借金してまで自費制作でこのレコードを作ったのです。
作詞、作曲はリック・エバンス。
最初は地元の放送局へ売り込んだところ、大ヒット!
これがRCAのプロデューサーの目に……じゃないね、耳にとまり、RCAからレコードを全国に発売することになったのです。



残念なことにこのあとはヒットに恵まれず、サイモンとガーファンクルにはなれませんっしたが、この曲は世界的にヒットしたのです。



1週間があっという間に過ぎて行きます。季節もいつか変わりましたあ~
扇風機がようやく要らなくなりました。
1日に扇風機と暖房の両方使用していた日もありました。
この頃は気候が変です。

でも、アイスコーヒーは飲みます。氷をわんさか入れて、徹底的に冷たいのが好きなんです。
冬はさすがに飲まないけど、そろそろ熱いコーヒーも飲みたくなる今日この頃。

先週はまた、悲しいニュースがありました。
日本の音楽界になくてはならない存在である作曲家、筒美京平氏の訃報です。
どれだけ多くのヒット曲を生み出したか、今思い出すだけでも書ききれません。
筒美京平さんは、いつでも日本の流行歌の世界にいらっしゃるものだと思っていて、そういえば何歳?
考えたこともなかったなあ。
常に誰かの曲を作っていたような気がします。
筒美さんの曲は、その歌う歌手に合った曲で、このメロディならヒットするだろうなというメロディを生み出すのが上手い!
職業作曲家としては最高の人でした。頭の中には、たくさんのメロディが詰まった引き出しを持っていたのだろうと思います。

筒美京平さんのいない音楽界は、なんだか物足りない寂しい世界になります。
訃報ばかり続き、もう書きたくないですが、大好きな作曲家だったので……。天国から日本の音楽界を見守っていて下さい。


そして、14日に筒美京平さんと同じ80才を迎えたのが、クリフ・リチャードです。

まだビートルズも、ウォーカーズも出てくる前はクリフが大好きでした。他にも好きな歌手はたくさんいましたが、クリフ・リチャードさんは、特に好きで、私のアイドル第一号と言ってもよいでしょう。
こちらはお元気ならよいのですが、前に豪華客船の中でショーをやっていると聞きましたが、今はコロナでやってないかと思いますので、いつかまた歌っている話題を聞きたいものです。



初めてラジオにリクエストハガキを出したクリフ・リチャードの曲
エバーグリーン・トゥリー






ライヴアルバム、クリフ・イン・ジャパンです。
久々に開きましたが、A面10曲、B面最後のメドレーを含めて8曲とヒット曲満載!
2枚組だと勘違いしてました。
東京だけの2回公演で、当時は渋谷公会堂と日比谷公会堂だったそうで、前売り完売!!
ダフ屋も出たとか。
プログラムは2日目には、予定してあったのに、殆ど残っていなかったそうです。
そして、会場にはクリフのサイン入りLPが売られていて、1回平均100部売れました。67年当時は平均50部売れたら上々の成績だということで。
クリフ位だと、武道館ですれば良かったのに、などという話も出たほどの大人気でした。

といった色々なエピソードが、福田一郎さんの解説に書かれています。
60年代は、私もまだ若かったし、東京なんてとても行けなかったから、クリフを見るチャンスは、いまだにありません。
クラプトンとウィンウッドのように、ひょっこり金沢へ来るってことはない…………ね。



ミュージック・ライフを見るクリフ  表紙はなんとウォーカー・ブラザースですよ。毎月楽しみにしているってことは、毎月送られていたんですね。


ダイナマイト


80才 まだまだイケる 
爆笑ラブてへぺろ