苦痛・苦悩によって得られるもの。
痛みや悩みがあると、なぜそうなってしまったのか、原因やその解決方法を知りたくなるのが自己というもの。
ここからの行動が現代において、問題となる部分でもある。大抵の人は解決方法など、自分では知る由もなく、わからないため、病院、書籍、友人、セラピスト、カウンセラーなど、自分の力で考えようとせず、他者の意見や解答、知恵・知識などを求めてしまう。
はっきり言う、それでは何も解決されていない。自身の原因の本質もわからないままだろう。
きっとその幾多の解答のうち、自分にとって楽で都合の良く、聞こえの良いもの、自分の好む識者の言葉を選んでいるのだ。
苦から得るものとは、
自己と他者の深い部分(深淵)を知ること。
自分の内面を見つめながら掘って行き、辿り着いたところにあったもの、それが自分だけの解決方法であり答え。
それを知ることが出来れば、他者の同じ部分まで知ることができる。
今回、私は一週間ほどの苦痛に見舞われた。
続く頭の激痛と一人で格闘した。
なぜ自分にこの激痛が起こるのか、止まないのか、治らないのか、耐えて耐えて我慢しなければならないのか。試行錯誤の格闘と思考。
そこから得られたもの。
・直接の痛みの原因。
・神と悪魔、善と悪は同じもの。
・真っ白な人間は人間ではない。
・真っ黒な人間も然り。
・神と悪魔は別々に存在してはならない。
・純粋な神、純粋な悪魔は居ない。存在し得ない。
・陰陽論を自らの身体で体験した。
頭で解っている、頭で理解しているだけでは、心と身体は追い付けない。他者の模範的、統計的解答・知識は、自分の頭と心を乖離させる。心を近づけながら知識を入れるべきである。
「苦が人間の最後の深みに嵌める」