子供の頃の記憶があまりないのは、左脳優位ではないからだ。記憶とは外的抑圧に近い。そうしなければならなかった、左脳優位で考えなければならない自分の外の社会との共存故の記憶。
また子供の頃は、知識的な記憶も自身と照らし合わせ、試行錯誤しながら繰り返し行うことで身体に擦り込まれる。それを脳がするのではなく、勝手に身体が行っている。
そうして身体と一体化するため、脳の記憶として残らない。
自分の外界との関わりは、言い換えれば、ルール的なもの、倫理・道徳的なもの、秩序的なもの。その規範に一律に合わせなければならない。
自分と合っているものは身体に刷り込まれ浸透して行くが、相違があると、浸透はせず、ルール、知識の記憶として残っていく。
他者との関係においても同じことが言える。
外的抑圧と内的抑圧を等しくしている。
自分が他者を抑圧する場合も、他者からの圧力と同じにする。その等しさが壊れるとどちらかに不満が出るのだ。
自分を自由にしたければ、他者も自由にする必要がある。
自由の程度と想いのベクトルの調整が、スムーズに出来る関係は、双方に支配的抑圧、思い通りにならない他者と自分のジレンマが少なくなっていくだろう。