ヤスバース
人間は限界状態(人間の無力さ)において、自らの有限性を自覚し、その時に超越者に出会う。
正し、その時、超越者を見誤ると、迷信や独断に陥る。
有限性を自覚することを通して、この世界を超えたまなざしを向けることが出来るようになる。
超越者の存在へと向かい、自らの生き方や生きる態度を決断出来る真の存在へと生まれ変わる。
包括者・超越者の概念は全体。
我々の客観的な事物はすべて個別な対象だが、全体は対象として扱えない。
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よく、「〜にすぎない」という言葉を末尾に用いる文章を見かけるが、還元主義だそうだ。
私もよく使ってしまうが、思うと、複雑で多様な何かを、一言で括って簡素化している。
しかし、私は還元主義であると同時に包括者でもあると思う。
全体は集合意識で捉えて、およその想い(平均値的なもの)を意識している。
その全体の中で関われる個人、周囲の人達、因縁のある人に対しては包括的な態度で接している。
彼らに何かを求めることはせず、ただお互いのベクトルが動いた時に反応し対応する。
それが愛だと思う。
一般的に言われる愛は、欲望の見せ合いと押し付け合い。互いに依存している、その依存が強ければ強いほど愛が深く愛し合っている、愛を育むなどと言われている気がしてならない。
本当の愛とは、双方の心に存在を置く。
ただそれだけなのだ。
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ヤスバースのいう、「超越者との出会い」だが、私は超越者によって、限界状態にさせられた。
“見誤る”というより、操られていた。
欲をちらつかせ、それを持たせることで、人間は操られてしまうのだ。
「幸せ」「お金」「異性関係」などの欲は、人間の意思を簡単に操ることが出来る。それが支配。
私は、その超越者によって、そうされていることを見抜いた。半年以上、身体的精神的極限、限界状態が続いた後だった。
欲は持ってはいけない。
それが弱みとなって、そこにつけ込まれるのだ。
欲を全て取り除き、自分の或るべき正しさを常に考え、その超越者と戦った。
その後3ヶ月毎日、極限での戦いは、自分は何をやっているのだろうと思ったこともあったが、その悪魔(超越者)を倒さなければ自分の自由はなかった。
3ヶ月後、悪魔に勝利することで幕を閉じた。
あの悪魔が再来したら…という不安があるが、それを払拭するには、欲の排除と自身の正しさと真理の追求、それらを分析し視座することで不安を拭っている。
その戦いにおいて培った能力。
私は、他にない独自の能力を保持する、
ヤスバースの云う、超越者だろうと思う。
宇宙と人間の真理、
涅槃に宿る感覚は、
他を超えている。