「〜の名月」と毎度SNSで騒がれて、拙いiPhoneで一般人も参戦する月より、ちょっと欠けていてひっそりと顔を出しているいつもの変哲のない月の方が好きだ。
というのは、人間の穢れた想いが多くそこに乗っかってしまい、その集合意識をキャッチしてしまうから。
見た目だけの美しい月にそれが内在している。
癒しの音の音源なども同様である。
音のCD・有名な音楽だったり。それに癒されたいと思う人は、心身が疲れ果て、穢れた想いがある人。
その集合意識が、音源に乗せられている為、それを聞いても癒されない。それらさえも浄化できるパワーのある音源だったら、その限りでは無い。
有名な神社も、利益だけを求める大勢の人の参拝により、波動は良くないものになる。
パワースポットも然り。
人混みを見に行って、素晴らしかったと思っているうちは、ただ偶像崇拝が好きなだけの、流行を追う、自由意志のない夢遊病者。
自分を感じ、自然を感じ、自分の感覚を研ぎ澄ます。
その能力の無くなってしまった現代は、魂が死んでいる。ニーチェのいう「神は死んだ」である。
魂と神を復活させる為には、自身の自由の追求だと思う。
支配されるもの、支配したいと思うものすべてを無くす。
それが自由。自由意思。
月の話から、ニーチェ・自由意思まで展開してしまった。