この現代の世と、現在の自身に、どこまで騙されずに生きられるか…だと思う。と一年半前に感じた。
騙されているという感覚がなければ何かに騙されて生きている。
以前、誰かと話したことがあるが、本質を見極めてそれを商品にしている人、自身の本質(芸術性)を商品にしている人は、自身は騙されているかもしれないが、人を騙してはいないと思う。
欲を売る商売が蔓延る商業戦線の中、そういった、本質を売るのはアリだと思っていた。
それを見極めてチョイスしていくのが、人生の楽しさの一つなのかもしれない。
どこまでが虚構で、何が嘘か。
事実の部分、隠れている真実は何か。それらを見極めるの能力は、自身の虚構性を見極めるのと同じ。
私自身に虚構性はない。その蓋然性は0%に限りなく近いと自負している。
自分の外界もそれと同じくして、殆ど何にも騙されることはない。それは自分の見るもの、関わるものを深く分析して、自分の腑に落とすからだ。
よく「正解はない」と耳にすることがあるが、正解を導き出すことはできないと、世の中や自身を曖昧に捉えている風潮があるように思う。
私は数年前から、自分の腑に落とすことが、今現状での正解だと、それが問題を提議した答えだと思っている。絶対に、自分の偏見や独断、都合のよい方向の答えは出さない。腑に落ちるまでは、答えは保留にしておくようにしています。
言葉というのは、人によって、その伝わり方、捉え方は変化する。どこまで、それに虚構性があるか、騙される覚悟があるか、それを見極めるのもまた面白いものだと思います。
最近は、他者の言葉を見ている余裕がないですが…。