文法教育はどのようにあるべきか | 東京大学村上文緒愛好会

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一つ一つの言葉にこめられた作者の思いがわかったとき、古典は本当に面白いと思った。古典を楽しみたい。その思いが古い言葉の意味を求めるきっかけにもなった。

二つの文法がもたらす混乱
私も文法の授業が嫌いだった。何とか活用とか小難しい言葉がたくさん出てくる。それを覚えて何かうれしいことでもあればやる気がでるが、覚えたところで何もうれしいことはない。別に文法を知らなくても、日本語はすでに読み書きが十分できるのだから。文法用語を覚えたからといって、日本語がよりよく話せるようになるわけではない。文法の知識は役に立たない。試験のために仕方なしにやるばかりであった。
だが、英文法は違った。もちろん、筆者はネイティブスピーカーではないので、文法を頼りにしないと英語の文を読むことも作ることもできない。だから、英文法は覚えざるを得ない。
しかし、英語の授業で英文法を習う一方、国語の授業でも学校文法を教えられる。中学校に入ると、二つも文法が出てくるのである。そして双方の授業では、似たような用語が出てきて、同じように使われることがあるかと思えば、違ったように使われることもある。日本語と英語とで、同じところと違うところが明確になっていないのである。わかないまま二つの文法を同時に並行して学ぶので、生徒は混乱する。

文法を意味重視で教える
それでは、どのような文法教育が望ましいのだろうか。それは、何段活用とかいう用語を覚えさせるような、知識中心の教育ではないだろう。子どもが長年の会話で身につけた無自覚の文法を自覚させることである。先ほどの「は」と「が」の使い分け例文を見たとき、

山田さんどなたですか?
山田さんどなたですか?

上の文は自然だが、下の文は変だ。では、なぜ変なのだろうか、と生徒に考えさせることが重要なのではないだろうか。そして、先に紹介した「は」と「が」の違い (松本 2003)を教えればよい。
この二つの文では、大切なことは、「どなた」である。したがって、この大切な「どなた」は「が」の前になければならない。したがって、上の文で、「が」を使うならば、

どなたが山田さんですか?

と直すことになる。
このように教えるのが、小学校でのあるべき文法教育の姿ではなかろうか。そしてここから、「主語-解説」や「主語-述語」ということの理解につなげていけばよいのである。小学校では、名詞とか助詞のような小難しい言葉を覚えさせる必要はない。

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