こんにちは。
顔ダンスインストラクター
Fumikoです。
今日もご訪問いただきありがとうございます。
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またもや番外編ですかーい
今日のお話は、先日お送りした【番外編】女子3人旅~東京編~
の続編になります。
まだ続きがあったんかーい!
先日のお話はこちら
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さてワタクシ今回、女子3人旅から二週間も経たず
本業の仕事絡みで東京日帰りすることになりまして。
昨日、再び上京してまいりました。
(日帰りはまあまあキツイ…)
実は、先日の女子3人旅で、非常にやり残した感が大きい、心残りなことがあったんです。
時間が許せば、その雪辱を果たしたい!
(会社のお金でまたすぐ東京に来れるなんて!最高)
今回も青組さんにお世話になりました
この子に乗せてもらいました
富士山が綺麗に見えた~
(ちなみに、東京ー大阪間の飛行は行きも帰りも左側の窓側がおすすめ
行きは富士山が見えるし、帰りは伊丹着陸前にあべのハルカスや通天閣や大阪城や梅田の観覧車が見える!夜間は大阪の夜景が広キレイ)
前回の旅で果たせなかったコト。
それは、
神谷バーに行けなかった!
いえ、正確には、店の前まで行ったものの、
定休日だった。
ちーん…
いえ、ただリサーチが甘かっただけです…
神谷バー
みなさまご存じでしょうか?
古くから、浅草と文学のつながりは非常に深く、
じつに多くの文学が浅草から誕生しています。
永井荷風の『すみだ川』はじめ、
川端康成
石川啄木
萩原朔太郎
谷崎潤一郎
…
などなど
恐れ多いほどの、多くの文豪たちが、
浅草に、何らかの形で、その足跡を残しています。
そして、
神谷バー
も
その文豪たちの小説の中に、
ふとその名を見つけることがあります。
目の前まで来て
その神谷バーが定休日だった。
そんな屈辱があるでしょうか
(だからただのリサーチ不足だってば)
そんなこんなで、
昨日は、
仕事が終わると同時に
電車に飛び乗り、
またもや浅草までやってまいりました!
帰りの飛行機の時間に間に合うための電車の出発時間を確認すると、
浅草滞在可能時間、18分
それでもいい
神谷バー。
創業1880年。
明治13年です。
その存在だけでシビれます。
住所、浅草一丁目一番一号です。
もうシビれまくりです!
電気ブランと、電気ブランレーズンサンド。
購入します。
(うちの妹のぶんも~)
ほんまは、
カウンターで電気ブランをストレートで引っ掛け、
文豪たちの愛した空間を堪能したかったのですが
残り時間8分という状況では到底果たせず
涙を呑んで断念します。
デンキブラン。
『電気がめずらしい明治の頃、目新しいものというと、”電気〇〇〇”などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていました。そのうえデンキブランはたいそう強いお酒で、当時はアルコール度45度。それが電気とイメージが重なって、この名がぴったりだったのです。デンキブランのブランは、カクテルのベースになっているブランデーのブラン。そのほかジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされています。しかしその分量だけは未だもって秘伝となっています…』
(デンキブラン購入時にいただいたリーフレットより引用)
帰宅後
電気ブランを堪能。
琥珀色の、液体。
染みわたります。
電気ブランで漬けたレーズンを使用したレーズンサンド、最高に美味
息子たち、「うめ~」
と、食ってました。
(この贅沢野郎め!)
(酔うなよ。)
改めて機会を作って、じっくり味わいに行こうと誓いました。
そしてこのブログも、
デンキブランを引っ掛けながらしたためております。
幸せ過ぎます…
(ただのヨッパライ)
誰が読んでくれるんやろ~
と思いながら、このブログを綴っております。
このようなヨタ話に最後までお付き合いくださり、
ありがとうございました