流産の悲しみを アートで解きほぐす

流産の悲しみを アートで解きほぐす

流産経験のある公認心理師、アートワーク・セラピストの名田文子です。
流産の経験は、理解してもらいにくいものです。
今も心の傷が痛むのに、誰にも話せない。
そんなあなたに寄り添いたいと思います。

流産、死産を経験された方に、
アートセラピーのプログラムを提供しています。






※グループセラピープログラム・・・参加募集は随時掲載します。


※産科医院、助産院でセラピープログラムを実施の場合は、
交通費と材料実費のみでお受けしております。


※自助グループでのワークショップに出向かせていただきます。
お問い合わせください。



※個人でのセラピーセッションをご希望の場合は、ご連絡ください。

こんにちは。

アートワーク・セラピストの なだふみこ です。

流産、死産、新生児死などで赤ちゃんを亡くされた方の

サポートをさせて頂いています。

 

 

わたし、実はけっこう、粗忽ものでして、

このごろ、立て続けにいろいろ失敗をしています。

 

 

先週は、「思い込み」が原因で

けっこうな迷惑をかけてしまいました。

 

 

何をやらかしたかというとですね・・・・

 

 

約束の日にちの勘違いです。

 

 

グループ展に作品を出すことになっていまして、

 

会期が始まる前日に、

作品を会場に持っていく予定にしていたのですが、

 

 

その朝、
家の固定電話の「録音メッセージ」のサインランプが
チカチカしているのに気づきました。

 

「なんだろう?」と、再生してみますと、

 

「なださん、作品、お待ちしています」

というではないですか。

 

 

えっ?????

 

 

びっくりして、作品展示に関する手紙を見直してみたら

作品搬入は、
会期の前日ではなく、前々日になっていました。

 

 

つまり、

展示作業日は、昨日だったのです

 

 

たいてい、会期の前日に展示をするのが普通なので

完全に、そうだと思いこんでしまっていました。

 

 

やってしまったーーー!!

 

 

 

そのあと

大慌てで連絡を取って、

 

 

平謝りに謝って、

一日遅れで作品を届けました。

 

 

ギャラリーの方は、

優しく、「いいですよ、気にしないでください」
と言ってくださいましたが・・・

 

 

ほんっとに、迷惑をかけてしまいました。

 

 

 

 

思えば、「思い込み」や「うっかり」で、

これまで数々の迷惑をかけてきました・・・・。

 

 

でもね。

本当にありがたいことに、

いつも誰かが助けてくれて、

全部、なんとかなってるんですよね。

 

 

今回も、

おかげさまで、グループ展の開始には間に合ったわけで。

 

 

助けられ、支えられ、

どうにかギリギリセーフで生きてきた私なのです。

 

 

もう、ひたすら感謝しかありません。

 

 

 

 

そして、迷惑かけた本人が言うな、って話かもしれないですが、

 

自分で自分を定義するときに、

「人に迷惑をかけてばかりの私」と、

悲しいイメージで固めるのではなくて

 

 

「失敗しても助けてくれる人たちに囲まれている私」 

 

と、

嬉しいイメージで自分自身を捉える方がいいよね、
と思っています。

 

 

 

今回の出来事も、

支えてくれる人に囲まれているという
自分の強みを確認できたエピソードとして、
記憶しておくことにいたします。

 

 

 

 

そして、

私が迷惑をかけたその人自身に、直接「おかえし」をする機会はないかもしれませんが、

 

近くで、誰かが困った事態に陥っていれば、

そのときには、

「おかえし」のチャンスが来たと思って

気持ちよく行動することを、ここに誓います!

 

 

あ、

「同じ失敗を繰り返さないよう、気をつけるぞ」と、
それももちろん、心に刻みます💦

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

下の写真は、

一日遅れで持って行った作品です。

 

 

そして、あと数日ですが

作品展は、こちらです↓

京都芸大出身の教員による作品展で、
20人ほどが1点ずつ出しています。

 

 

 

こんにちは。

アートワーク・セラピストの なだふみこ です。

流産、死産、新生児死などで赤ちゃんを亡くされた方の

サポートをさせて頂いています。

 

 

今回は、前回に続いて、お勧めの本のご紹介です。

 

 

赤ちゃんのことや死別の悲しみをテーマにした本ではありませんが、


「気持ちをラクにして、自然に生きる」

ということについて

いろいろなヒントをくれる本です。

 

「猫に学ぶ  いかに良く生きるか」

ジョン・グレイ   鈴木品/訳   みすず書房 2021年

 

 

 

猫への愛とリスペクトにあふれたこの本、

著者は、イギリスの政治哲学者です。

 

 

猫が、余計な気苦労をすることなく

自由に生きていることと、

 

人間が、

いろんなことを考えすぎ、

悩みの堂々巡りの中でがんじがらめになっていることとを

対比して見せてくれます。

 

 

さまざまな「猫エピソード」が散りばめられていますが、

 

なかでも、

最終章にある

「いかに良く生きるかについて、猫がくれる十のヒント」は、

「ううーむ」と納得、うなってしまう名言の連続!

 

 

そのうち、特に私の心に刺さった教訓をひとつご紹介します。

 

 

5,闇を恐れるな。
大事なものの多くは夜に見つかる

(p.154)

 

 

確かに・・・!

 

 

自分の人生を方向付けるような大事なことは、

大きな挫折や、喪失などの、

「闇」の中で見つけてきたなあ と思います。

 

 

 

赤ちゃんを亡くすという経験もそのひとつ・・・・。

 

 

 

キラキラ輝く明るい日々は、もちろん素敵だし

そんな日々が続くことを願うけれど

 

 

私が大切にしたいと思うものは

まばゆい陽光の中では気づけなかった、弱くて小さな光。

 

 

闇の中にいたからこそ、

小さな光を見つけることができたんです。

 

 

 

猫のように、

自然にすべてを受けれて生きるのは難しいけど

 

 

時折、猫の姿をイメージしてみることは

助けになりそうな気がしました。

 

・・・・・・・・・・

 

 

猫好きには特におすすめの本ですが

 

 

いろんな哲学者が人生の諸問題について取り組んできた

さまざまな理論や思想も紹介されていて、

哲学について面白い切り口で学ぶこともできる本だと思います。

 

 

ぜひ読んでみてくださいね。

 

 

 

こんにちは。

アートワーク・セラピストの なだふみこ です。

流産、死産、新生児死などで赤ちゃんを亡くされた方の

サポートをさせて頂いています。

 

 

今回は、お勧めの本のご紹介です。

 

 

赤ちゃんのことや死別の悲しみをテーマにした本ではありませんが、

 

 

人生は思うようにはならないのだけれど、

 

 

それでも、

真実の素晴らしい瞬間が人生にはたくさんある

ということを感じさせてくれる素敵な本です。

 

わたしさがしのかくれんぼ
P.マクラクラン/作  若林千鶴/訳  中村悦子/絵  文研出版 1991年

 

 

 

主人公は思春期にさしかかった少女、キャシー。

キャシーが、人を批判し、繭に閉じこもるようなところから

ゆるやかに成長していく姿がえがかれています。

 

 

児童文学ですが

大人だからこそ心に染みる珠玉の言葉が、

あちらこちらにちりばめられているんです。

 

 

たとえばこんな言葉。

「おばあちゃんがいうの。人生は、ほんの一瞬だけ完ぺきな姿をしているものでいっぱいだって。そして、すぐなくなっちゃうの。手のひらで雪をつかまえるのと同じだって。」

「わたしさがしのかくれんぼ」p.143

 

 

ほんの一瞬だけ完璧な姿をしたもの・・・・。

 

 

私たちは、幸せな瞬間を永遠にとどめたいと願います。

 

 

でも、

幸せっていうのは、
「その一瞬」を大切にすること
なんですね・・・

 

 

 

 

家族の絆とか愛情とか

そういうものも、

 

永遠に変わらない、ずっと完璧なものではなくて

 

 

だけど、

だからこそ大切なんだなあ・・・・

 

 

 

他にも、この本の素敵な言葉をさらにご紹介している続きは

こちらをクリックしてください↓

記事の続きは、こちらから

 

 

 

こんにちは。

アートワーク・セラピストの なだふみこ です。

流産、死産、新生児死などで赤ちゃんを亡くされた方の

サポートをさせて頂いています。

 

 

ここ神戸では、

私は今朝、今年初めてのセミの合唱を聞きました。

 

 

セミが鳴くと、

梅雨明けしたんだなあ、夏本番だなあと感じます。

 

 

梅雨明けのニュース自体は先週聞いていたんですけど

セミが鳴かないなあと思っていたら

週末から3日続けての雨模様でした。

 

 

セミにとっては

今日こそが「梅雨明け宣言」の日だったのかなと思います。

 

 

さて、「いよいよその時が来た」ってことで

セミたちが大合唱を始めたわけですけど

 

 

人生にも「今がその時だ」っていうのがありますよね。

 

 

私も、

まさに今、ようやく、願っていたことが動き出す

「その時」が巡ってきました。

 

 

コロナの影響で滞っていた、アートセラピーの学び

ようやく進み始めたんです。

 

 

私は、アートワークセラピストとして活動しているのですが

 

実はこれで生計を立てているわけではなく

(本当はそうしたいところですが・・・)

「学校教員」という職に就いていまして、

 

その傍ら、

アートセラピー先進国カナダの

「アートセラピスト養成校」で学んでいます。

 

が、実は、

入学してすでに7年です。

 

なんでこんなに時間がかかってしまっているかというと、

300時間と定められた実習が、終わっていないからなんです。

 

300時間・・・・。

 

フルタイムで働きながらこの実習を終えるのは永遠に無理!

 

と判断し、

昨年から思い切って2年間の休職をしました。

 

 

ところが。

 

これで平日昼間に、アートセラピーの実習ができるぞ!

と思ったら

コロナの感染者がまたガンガン増えて

実習を受け入れてくれる施設が見つからず・・・・

 

何もできないまま

2年間の休暇のうち半分が終わってしまいました。

 

絶望的な気持ちになっていたのですけど

 

 

ようやく今、

停滞していた流れが、動き出しました。

 

立て続けに、実習を受け容れてくださる施設が見つかったんです。

 

6月から、

5つの施設での実習が始まりました。

 

そして

7月、8月には、さらに2つの施設へ行くことになっています。

 

 

もうずっと止まったままだったのに

動き出したら一気にドドーっ!!て感じです。

 

 

 

何ごとにも「その時」というのがあるのだなあと思います。

 

 

聖書には

「すべてのことには、時がある」という言葉があります。

 

 

まさにそのとおり。

 

停滞していた期間も、

「今は止まるとき」ということだったのでしょう。

 

 

にわかに忙しくなったことに戸惑っていますが

せっかく与えられた機会を

大事に生かして、しっかり学んでいきたいと思います。

 

 

アートを通じて心に寄り添っていく包容力を培って

より安心できる場を作っていきたいと願っています。

 

 

 

最後に、

さきほど触れた聖書の言葉を

もう少し長めに掲載しておきます。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある。



生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。



殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。



泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。



石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

 

 

捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。



引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。



愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

 

 

旧約聖書(新改訳):伝道者の書 3章

こんにちは。

アートワーク・セラピストの なだふみこ です。

流産、死産、新生児死などで赤ちゃんを亡くされた方の

サポートをさせて頂いています。

 

 

いよいよ梅雨のシーズン。

紫陽花が美しい季節になりました。

 

今日も雨。こんな日は、

私のクセ毛がむちゃくちゃ主張をしてくるのが、憂鬱なんですよね。

 

特に前髪!

朝、ブロウして整えても、

外出してしばらくしたら、

クリンクリンと、変な方向にくねり出すんです。

朝の努力はほぼ無駄ですね。

 

スーッとまっすぐなストレートヘアは、永遠の憧れです。

 

 

と、私の髪の毛の悩みをツラツラ書きましたが、

 

あなたはご自分について

「変えたい」とか「なくしたい」と思っていることがありますか?

 

 

たぶん、

誰でも何かしらの変わりたい願望があるんじゃないかと思います。

 

 

でもね

いやだと思い、悩みの種であっても

それを「なかったことには したくない」っていうこともあるんですよね。

 

 

先日読んだ本「記憶する体」にも

そんな話が出てきました。

 

 

この本では、

さまざまな身体障がいをお持ちの方にインタビューして

それぞれの「失った身体機能」についての感覚や考えを伺っています。

 

 

例えば

中途失明した方とか

事故や病気のために腕や足を切断した方とか

吃音に悩んでいる方とか・・・

 

 

この本の最後の方で、

興味深いエピソードが紹介されていました。

 

吃音で悩んでいる当事者たちの会で

 

「もし吃音が即座に治る薬があったら、

飲みたい?」 という話題が出たそうなんです。

 

 

高価すぎるとか、副作用があるとか、

そんなリスクが一切なく、

 

自分を悩ませてきた症状が一発で解消する夢の薬・・・。

 

 

 

そこに集った吃音の当事者たちの答えは

 

 

 

全員が「飲まない」だったのだそうです。

 

 

 

 

吃音はいやだ。

言葉につまることなく、スルスル話せたらどんなにいいだろう。

そう思うけれども

 

 

それが一瞬で解決されることは

「なんだか違う」という感覚・・・・

 

 

私は、この感覚は

すごく尊いことだなと思いました。

 

 

もちろん

価値観はひとそれぞれだから、

「そんな薬があったら飲みます」という人がいてもいい。

 

ですが

 

 

悩んできた日々や

しんどさと向き合ってきた時間は

 

それも自分の大事な一部なんだと

自分自身の人生を愛おしみ、肯定する

 

 

それはとても大切な視点なんじゃないかと思いました。

 

 

このブログは

赤ちゃんと悲しいお別れをした方のことを思いながら書いているのですけど

 

この悲しい経験についても

似たようなことが言えるんじゃないでしょうか。

 

 

本当に悲しい、つらいことで

二度と、こんな思いはしたくない

 

 

だけど

その経験も含めて、自分を愛おしむ・・・

 

 

「自分の傷を愛する」って

誰の本だったか忘れたけど

そんな言葉をどこかで読んだことがあるんだけど

 

 

傷を抱えて

それでもそんな自分を大切にしていく

 

 

涙を心に抱きながら歩む、あなたの姿を

きっと天国の赤ちゃんも見守ってくれていると思います。

 

 

 

最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

 

 

今日という日が

あなたにとって優しい穏やかなものでありますように。