先日、大学時代に所属していた競技ダンス部の先輩とLINEでやり取りしていて、「やっぱりネガティブになること多いね〜」と言われました。その先輩いわく、「キミ(私のこと)が完璧主義者だというのが大きいと思う」とのことで、私自身もそう思います。

 

 私のブログを読んで下さっている読者の皆さんから見た私って、どのような印象をお持ちでしょうか?旅行やダンス、ゆるキャラ遠征など「楽しんでいる」ように思われる一方で、未だに大学時代のダンス部での理不尽なできごとや、過去に受けた震災や障害絡みのひどい発言などを話しているのも事実。先輩からは「自分で思うより『素敵な大人』になれていると思うけどな」と言われましたが、そう言われるほど私は善良な人間ではありません。

 

 しかし、こんなネガティブな性格も「それは『用心深い』ってことだから、それを活かせば良さそう」と先輩から言われました。結局長所と短所って表裏一体ですからね〜。また、Twitter(X)のあるフォロワーさんからは「粘り強い」とも言われました。自分でも「ぶれない主軸」を持っているのは良いことかと思います。

 

 何年も前の過去の出来事について書いていると、「過去にまで『完璧』を求めている」ように思う方も多いと思います。しかし、私が過去の理不尽な言動や出来事について書く理由は「自分が経験した嫌な思いを他の人にして欲しくない」からなのです。また、当該の案件があった事実だけでなく、当時、学生や部下といった「下の立場」だったからこそ誰にも相談できなかったということも皆さんに知ってもらいたいというのもあります。

 

 

 これまでにも様々な「納得いかない・理不尽なできごと」をブログで書いていましたが、読者の皆さんにとって特に強く印象に残ったものって何でしたか?

 

 ブログだけでなくリアルでも多くの人に驚かれる(?)のは「中学時代のお弁当の時間がたった15分しかなかったこと」でしょうか。中学校を卒業して18年経つのにまだ言ってるの?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、それでも私が言い続けるのは、子どもの頃の誤った食事指導がきっかけで、大人になった今でも「会食恐怖症」などに苦しんでいる方が大勢いらっしゃるためです。

 

(中学時代のお弁当の時間、小学校の給食についてのエピソードは以下のリンク先からご覧下さい)

 

 

 

 「誤った食事指導」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは「完食指導」かと思いますが、私は食べる時間が十分にない中で、「残さず食べなさい」と言われるのが一番嫌でした。

 

 集団生活である以上、時間を守ることは大切です。学校や先生の立場からしたら、授業や部活動の時間を確保しなければならないという気持ちも分かります。しかし、食事の時間を削ってでも勉強や部活動が大切なのでしょうか?先生にとっては、学校でのお弁当や給食は「食べ物を口に入れれば良い」という認識だったのでしょうか?結局私が中学校に在学している間に改善されることはありませんでした。

 

 つい最近、私の出身中学校で「給食」が始まったそうですが、「弁当15分」を経験した私からすると、「あのときのことは本当に改善されているのだろうか?」と思ってしまいます。当たり前なのですが、改善されているところが見えないからこそ、余計に不安になるのです。

 

 いくつかのテーマに分けて書いていきます。長文失礼しました。