「双葉・石巻 13年目の現実」シリーズの連載が終わり、放心状態のワタシ。大きな連載が終わると「日常の話題」も書けるようになるのでホッとしています(笑)

 

 

 さてさて、今回書くのは「小学校の給食の時間」のこと。「双葉・石巻 13年目の現実」シリーズの「終章」で少し触れたのですが、今年(2024年)2月に福岡県の小学校で、小学生1年生の男児が給食の「うずらの卵」を詰まらせてしまい、亡くなってしまったという案件がありました。これを受けて、「うずらの卵の使用禁止」や「使用する食材の大きさを検討する」という再発防止策が出されましたが、SNS等では、「食材の見直しよりも食べる環境等の見直しが必要」「給食時間内に食べようと急いで食べたのが原因では」といった「子ども側」の意見が相次いだ…というニュースがありました。

 

 

 実際、ある投稿者のお子さんは「今の給食を食べる時間は25分くらいだけど、酷いときは10分で食べないといけなかった」そうで、(男の子が食材を詰まらせてしまったのは)急いで食べたからではないか?と指摘していたといいます。

 

 

 このニュースを読んでいて、私が通っていた小学校でも、移動教室や体育の時間等で配膳が押してしまい、食べる時間が実質「10〜20分くらい」しかなかったのを思い出しました。

 

 私が通っていた小学校では、給食の時間は45分確保されていたのですが、「配膳も含めて」の45分でした。しかも、全員に給食が行き渡り、「いただきます」をしてからでないと食べられなかったため、移動教室などで配膳が遅くなってしまうと、食べる時間が10〜20分しかないことが何度もありました。「時間内に食べなければいけない」というプレッシャーに加え、「残してはいけない」という暗黙の了解みたいなものもあったため、あまり食べ慣れないメニューだと苦痛だった記憶があります。

 

 そしてさらに、私が小学校6年生のときは、4〜6人の1グループで班を作り、机を寄せ合って食べていたのですが、班の中で食べるのが一番遅かった子が、他の班の子の食器を片付けさせられるということがあったのです。(子供同士で勝手に決められたルールでした)食べるのが遅い私はしょっちゅうターゲットになっていました。先生や親に相談しようにも、「食べるのが遅い自分がいけないんだし…」と思うと、誰にも相談できませんでした。こうして不満を募らせてしまい、怒りを爆発させていた私も酷いのですが…。

 

 

 今になって思うのは、「なぜ配膳と食事(喫食)の時間を別々にしないのか?」ということです。食事の時間は食事の時間で別に取って欲しかったですね。そして給食の配膳も「給食当番」という形で子ども達がやっていたのですが、担任の先生が見ていたとしても、子どもだけで配膳をやらせるのも安全面・衛生面の観点からどうなんだろう?と思います。食事の配膳や役割分担も「教育」の一環なのは分かりますが、食べる時間を削ってまでする必要のあることなのか?と疑問に思います。

 

 うずらの卵に限らず、どんな食材でも詰まらせてしまうリスクはあるし、結局は「よく噛んで食べる」しかないのです。しかし、「食事時間が短い」など、「よく噛んで食べる」ことが許されない環境があるのも事実。そして、よく噛んで食べられないということは、「食事を楽しめない」ということにも繋がってきます。集団生活である以上、決められた時間内で食べることは大切ですが、短い時間でガツガツとご飯をかきこむことが「食事を楽しむ」ことに繋がるとは全く思えないのです。

 

 

 「たかが食べる時間」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、「中学校の昼食時間15分」を経験し、母が作ってくれたお弁当をほぼ毎回残していた私からすると、食べる時間の確保ってものすごく大事なことだと思います。食事って、食べ物をただ口に入れればいいというものではありません。「食べることを楽しめる」環境を作っていってもらいたいものです。