旅行記本編はコチラから。 

 

 

 諸事情により、ブログ更新・コメントへの返答をしばらくお休みしていましたアセアセ申し訳ありませんm(_ _)m ブログ更新をお休みしていた理由ですが、体調不良や身内の不幸等に起因するものではありません。私は元気ですニコニコ
 
 大変遅くなりましたが、「2023 石巻・2つの小学校を訪ねる旅」の総括編を書いていきたいと思います。
 
 
 何度も書いているが、まずは体調不良などのトラブルに見舞われることなく、無事に旅を終えることができた。冬の石巻に行くのは今回が2回目であるが、大川小学校は川沿いに、門脇小学校は海沿いにあるため風が強く、体感温度はかなり低く感じられた。しかし我ながら、よく大川小学校に3時間もいたなぁ~と思ってしまう。
 
 これまでの旅の反省点から、「震災遺構を見学する際は長めに時間を取る」ようにしていた。そのため、大川小学校もじっくり見たい!と思い3時間も現地にいたのだが、併設されている「大川震災伝承館」の規模が小さいため、校舎の見学と合わせて60~90分ほどあれば十分だと感じた。大川小学校は屋外展示がメインであるため、夏の暑い時期や冬の寒い時期は体調にも十分気を付けて欲しい。
 博物館や史料館等の見学に関しては、事前に当該施設のホームページなどをチェックしておき、規模などをある程度調べたうえで時間配分していく必要があると感じた。
 
 大川小学校も門脇小学校も、周辺にコンビニや商店などがないため、食べ物や飲み物の事前調達は必須になる。また、街灯も少ないため、夜は真っ暗になってしまう。タクシーで訪れる場合にしても、レンタカーや自家用車を運転して訪れる場合にしても、余裕を持った計画を立てるようにして欲しい。
 
 
 そしてここからは「2つの小学校」を訪れた感想と、東日本大震災から12年を迎えた今の思いを書いていく。
 
 2022年2月の石巻旅行から始まった「被災地慰霊の旅」は今回で3回目となった。今回、「2つの小学校」を見学して感じたのは、同じ「石巻市立」の学校でも、地理的事情が大きく異なること、それによって「防災」への考え方も大きく異なることだった。
 
 旅行2日目(5)の記事に書いた内容と被ってしまうが、門脇小学校の展示コーナーに、かつて門脇小学校に在籍していた児童による証言が展示されていた。その内容は、門脇小学校の避難訓練はすごくしっかりしているが、転校先の学校は震災の影響を受けていなかったためか、避難訓練の雰囲気が緩くて驚いた…というものだった。
 石巻市は市域が広く、2005年の「平成の大合併」で市域がさらに拡大した。石巻市というと、全域が震災の大きな被害を受けたというイメージがあるが、同じ石巻市内でも、海から離れた石巻線の前谷地~石巻間では、震災の爪痕を感じなかった。実際、当該の区間は2011年5月までに復旧している。
 
 東北地方の太平洋沿岸では、東日本大震災以前にも繰り返し、津波の被害に遭ってきた。中でも、「目の前がすぐに海」という立地にある門脇小学校では、「地震発生=確実に津波が来る」という考えのもと、学校近くの日和山公園に避難する「しっかりとした」避難訓練を行っていた。日頃の避難訓練の成果と、近くに逃げられる場所(日和山公園)があったからこそ、奇跡的に誰ひとり、犠牲者を出さなかった。
 

 ところが、北上川沿いにある大川小学校では、津波が川を遡上してくる可能性があったにも関わらず、避難が遅れたことで、児童と教職員合わせて80人以上が津波の犠牲になった。テレビや新聞で報道されるのは多数の児童や教職員が犠牲になったこと、その後の避難誘導などを巡って裁判になったことがメインだが、実際に現地を訪れてみないと分からないことがあった。

 これまでのブログ記事でも度々書いてきたが、海から3.7km離れた内陸に位置する大川小学校からは、海は見えない。改めて、あの立地で「津波が来る」とは予測できなかっただろうな…と思った。「ここまで津波が来ることはないだろう」という思い込みに加え、学校近くの裏山以外に逃げる場所がなかったことも、被害拡大の要因となった。

 裁判では「学校近くの裏山に避難させていれば子ども達は死なずに済んだ」ということが争点になったが、その裏山も、本当に災害が起きたときに「安全に」避難できる場所ではなかったのだろう。裏山の斜面は緩やかなもので、小学校低学年の児童でも登れると言われているが、階段もなければ舗装されているわけでもない。余震や降雪で足場が悪くなっている中、児童と教職員合わせて100人以上が一斉にあの裏山に避難することもリスクがあったのだろう。誰かひとりが転んでしまい、将棋倒しになるなど、「二次被害」も予想されるからだ。


 「人間にはどんなに頑張ってもできないことがある」ということは間違ったことではない。しかし、「どんなに頑張ってもできなかったから仕方ない」と済ませてしまうのはまた違う。学校や先生だけを責めるのではなく、記録を取り、検証し、同じ悲劇を繰り返さないように活かしていく必要がある。
 犠牲者が出なかった施設や学校においても、「犠牲者が出なかったからそれでいいよね!」で済ませるのではなく、何が功を奏したかを考え、次に活かすことが重要だ。災害は起きないのが一番良いことだが、仕事で「PDCAサイクル」が重要だと言われている所以はそこにある。


 石巻、気仙沼、陸前高田とこれまで3つの被災地を訪れてきたが、改めて、東日本大震災の被害が広範に及ぶこと、場所によって被害状況や被害拡大の要因が大きく異なることを感じる。東日本大震災の被災地はひとつだけでなく、複数訪れたほうが良いし、1回訪れただけで終わりにせず、定期的に足を運び、自分の目で現状を見ていく必要がある。復興にゴールはない。東日本大震災は「現在進行形」で続いているからだ。

 以上を持ちまして、「2023 石巻・2つの小学校を訪ねる旅」完結です!完結までに時間がかかり申し訳ありませんでしたアセアセそして、毎回長文&内容が重かったことも…。

 東日本大震災から12年、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。