※記事の後半に震災遺構・被災物の写真があります。閲覧の際はご注意下さい。
前回までの記事はコチラから。
前回更新から間が空いてしまいスミマセンでしたそれでは1/29(日)、旅行2日目の記事を綴っていきます!
午前7時台に目が覚めた。顔を洗い、髪をとかしてからホテル1階の朝食会場へと向かう。ドーミーインの朝食バイキングといえば「ご当地メニュー」が選べることだ。
最初はご飯や目玉焼き、オムレツなどに加え、「笹かまぼこ」を選んだ。そして、前回(2022年2月)の宿泊時にはなかった「牛タンコロッケ」(お盆の右上に乗っています)に目が留まった。おかげで黄色と茶色がメインのメニューになった\(^o^)/
先ほどのメニューでかなりお腹が膨れたのだが、ドーミーイン仙台駅前のご当地限定メニューはまだある。それは「海鮮丼」と「ずんだ餅」だ。せっかくお金と時間を掛けて来たのに、ご当地メニューを食べなかったら後悔する!と思い、食べることにした。(←オイ、食べ過ぎだぞ!)
海鮮丼はお好みの魚を乗せることができ、私は酢飯の上にイクラ、ホタテ、サーモンを乗せた。
校門も再現されている。今にも子ども達の声が聞こえてきそうだ。
石巻市立門脇小学校は1873年に創立された歴史ある学校で、大川小学校と同じ年に開校している。現在の門脇地区に移転してきたのは1902年のことだった。門脇町や南浜町などに住む児童が通っており、卒業後は「石巻市立門脇中学校」(2021年3月に閉校)に進学していた。
ところが、2011年3月に発生した東日本大震災で校舎は甚大な被害を受けた。校舎1階が津波で浸水し、その後発生した津波火災で校舎が燃えてしまった。余震と津波のために消火活動ができず、門脇・南浜地区は3日間燃え続けたという。当時門脇小学校に在校していた240人の児童は、学校の裏にある「日和山公園」に避難していたため無事だった。
震災後は「石巻市立門脇中学校」の校舎を間借りする形で授業が再開された。しかし、門脇小学校の周辺地区が「非可住区域」に指定された影響もあって人口減少が進み、2015年に門脇小学校は閉校となった。現在は「石巻市立石巻小学校」に統合されている。
上の写真は去年(2022年)石巻に行ったときに撮った写真である。日和山公園の階段を降りた先に「きずな地蔵」があり、そのそばに被災直後の門脇小学校の校舎の写真があった。真っ黒に焼け焦げており、火災の激しさを物語っている。
現在、遺構として残っているのは校舎中央部のおよそ67メートルで、損傷が激しかった校舎の右端・左端部分は解体された。2022年4月から一般公開され、東日本大震災の震災遺構としては唯一、「津波火災」による痕跡を残すものとなっている。
校舎近くに植えられていた「被災樹木」を見つけた。黄色い丸で囲ってあるのが、被災当時のまま残されている樹木である。この樹木が、津波で押し流されてきた車や家屋を受け止めたという。
そして被災樹木の周りからは新しい「生命」が生まれ、今もなお成長を続けている。