前回の記事はコチラから。

 

 

 大川小学校の校舎外観と大川震災伝承館を2回ずつ見学し、気付けば15:25になっていた。大川小学校の駐車場にはもうタクシーが待機している。最後に、震災伝承館の裏にある慰霊碑に手を合わせてから帰った。

 

 タクシーに乗り、最初に運転手さんから掛けられた言葉が「おかえりなさい。寒かったでしょう?」だった。我ながら、よく3時間も大川小学校にいたな~と思ってしまう。思えば、1月末に石巻に行って大川小学校と門脇小学校を見学するという話を知人にしたところ、「寒いけど大丈夫?」と言われたほどだ。しかし、どんなに寒くても、どんなに交通が不便でも、大川小学校の校舎は「絶対に」自分の目で見たかった。その理由は「3度目の被災地慰霊の旅に行ってきました!」の記事で書いているので割愛させて頂く。

 

 帰りのタクシーも往路のときと同じ運転手さんだった。運転手さんのほうから話しかけてくれる人だったので、色々と話し込んでしまった。自宅があった場所が「非可住区域」に指定されてしまったために、故郷を離れざるを得なかった運転手さんがいたこと、津波で観光バスが建物の上に打ち上げられ、「震災遺構」として残すことを検討していたが、「見るのが辛い」という声から解体が決まったことなど、貴重な話を沢山して下さった。

 

 

 そしてここからは大川小学校を見学した感想を書いていく。震災被害のインパクトがあまりにも大きすぎて自分でも上手く表現できないが、大川小学校であったことを「悲惨」という言葉だけで片付けてはいけないと思った。気仙沼や陸前高田で震災遺構を見学したときの感想と被ってしまうが、震災前の姿を忘れてはいけない。震災被害やその後の裁判などのインパクトがあまりにも大きくなってしまったが、かつては「子ども達の笑顔あふれる学び舎」だった。豊かな自然とともにあり、地域に溶け込んだ小学校だった。都市部の学校では中々できない授業や行事もあった。そして、大川小学校の周辺には「町」があり、「暮らし」があった。大川小学校を卒業した児童の進学先であった「石巻市立大川中学校」も含めての「町」だった。

 

 そして裁判にもなった「学校側の事後対応・避難誘導」のことだが、これに関しては「正解」も「間違い」もないと思う。何が正しくて、何が間違っていたのか、簡単に答えが出るものではない。ただひとつ言えるのは、「全てが全て、学校や先生の責任ではない」ということだ。先生だって子ども達の命を救いたかったはずだ。死なせたくて死なせてしまったわけではない。

 

 多くの人は「なぜ、あのとき子ども達を学校近くの裏山に避難させなかったのか」と思うだろう。しかし、裏山へのすぐの避難を即決できなかった理由として、降雪で足場が悪くなっていたこと、余震によるリスクがあったことなどがあったという。その中で全校児童・教職員含めて100人以上が一斉に裏山に避難するというのも「リスク」がある。緩やかな傾斜の山だとはいうが、低学年の児童だと体力がなく、登りきれない子どももいるだろう。そこで誰かひとりが転んでしまった場合、将棋倒しになり、二次被害が発生してしまう可能性もある。

 

 地震発生後、大川小の児童は校庭で待機していたというが、地震で建物が倒壊してしまう可能性があったから、校庭に避難させたのは間違ったことではないと考える。また、児童全員が揃っていることを確認した上で避難を開始する予定だった、というのもあるだろう。また、児童の保護者が迎えに来る可能性があったからこそ、すぐに裏山に避難できず、校庭で待機していたのかもしれない。

 

 「たられば」を考えたらキリがないが、今後の「防災」のスタンダードが、「地震が起きたらまず自分の身を守る」「他人に構わずとにかく逃げる」になることを願うのみだ。逃げて何もなければそれでいい。「命あっての物種」とはこういうことだ。

 

 16:00過ぎに石巻駅に到着した。タクシー代片道7,000円、往復で14,000円もかかったが、実際に現地に足を運んだのは貴重な経験になった。これ以上のタクシー代を払う機会はそうそうないだろう。改めて、石巻駅と大川小学校の送迎をして下さった雄勝タクシーさん、本当に本当にありがとうございました!

 

 

 

自然がつくりだしたこの世界で

未来をそうぞうし 生きることができるのが人間です

そして 判断し行動できるのも人間です

ときに大事なことを見失い

気づけなくなることの おそろしさを知ってほしいのです

なぜ いちばん大切なものが見えなくなるのかを考えてほしいのです

いのちの尊さを 誰もが理解しています

平和な日常を 誰もが願っています

話しあうこと 考えること ともに確かめあうことで

きっと あるべき未来は続いていくはずです

 

 

 このブログを読んだ皆さんは、どんな未来を「そうぞう」するだろうか。

 そして、どんな漢字の「そうぞう」を当てはめるのだろうか。

 それも全て、人々の「そうぞう」する力に委ねられている。

 

 

 16:00過ぎに石巻駅に到着し、16:28の仙石線・あおば通行きの列車に乗ることも考えたが、仙台駅到着が17:51だ。次発の16:55発の仙石東北ラインだと、仙台駅到着が17:49になる。どちらの列車に乗っても仙台駅到着時刻にあまり差がないため、16:55の列車に乗ることにした。それまでは「いしのまき元気いちば」へ行き、お土産などを見ていた。

 

 そして再び石巻駅に戻り、16:55の仙石東北ラインに乗って仙台駅へ。本日宿泊するホテル「ドーミーイン仙台駅前」へと向かった。

 

 それでは次回に続きます!