※震災遺構・被災物の写真があります。閲覧の際はご注意下さい。


前回の記事はコチラから。




 大川小学校の校舎を一通り見学したあとは、同じ敷地内にある「大川震災伝承館」へと足を運んだ。

 大川小学校は2021年7月に震災遺構として公開された。


 大川小学校・大川震災伝承館の開館スケジュール等については以下のリンクを参照して欲しい。



 大川震災伝承館では撮影OKとなっていたため、印象に残った展示などを写真に撮りながら見学した。
 震災前の大川小学校を描いた絵が展示されていた。桜が咲く中、中庭に子ども達と先生が集まっている。自然の中で過ごす学校生活は楽しかったことだろう。

 震災前の大川地区の美しい自然が描かれている。沢山の人で賑わう海水浴場と美しく咲くハマナスは絵になる風景だ。下には地引網漁体験の授業風景が描かれていた。地元の漁師さんの協力のもと行われ、とれた魚は児童の保護者達が浜料理にしたという。都市部の学校ではできないことだ。

 大川震災伝承館に展示されている、大川小学校の説明書きだ。大川小学校は内部への立ち入りができないため、外観から見学する形となっている。被災した当時のまま残る校舎内部の写真を見ると何とも言えない気持ちになる。
 震災遺構となった校舎の周りには花が植えられている。ここに子ども達がいたら…と思わずにはいられない。

 震災で今も行方不明になっている児童の一人・鈴木巴那(はな)さんのランドセルが展示されている。巴那さんのランドセルは津波の押し波や引き波によって、校舎の屋根の上に打ち上げられていたそうだ。震災直後のニュースで、大川小のグラウンドに亡くなった子ども達のランドセルが沢山置かれていたのを思い出す。
 ランドセルと一緒に展示されていた読書記録(?)のカードは3月10日で止まっている。あんな大震災が起こるとは思ってもすらいなかっただろうし、「明日が来る」と信じて疑わなかったはずだ。今、巴那さんは22歳になっているだろう。22歳、どんな人生を歩んでいたのだろうか。私の22歳といえば、大学4年生だった。迷いながらも将来の進路を決めていたのだろう。
 「家族は必ず会えると信じ、今も探し続けています」の文言が胸に刺さる。

 伝承館では、大川小にあった様々な被災物も展示されていた。大川小では、展示されている時計も含めて、3つの時計が残されていた。
 この時計は15:37前後で止まっており、津波到達時刻を知る手がかりにもなっている。

 大川小の児童の間で人気のあった「一輪車」も展示されていた。小さいのが低学年用、大きいのが高学年用だと思われる。縦割り活動など、学年を越えた交流が盛んで、高学年の児童が低学年の児童の一輪車練習を手伝うこともあったそうだ。
 私が通っていた小学校でも縦割り活動はあったが、それ以外での異学年交流は登校班くらいでしかなかったような気がする。休み時間は同学年かつ同じクラスの友達と遊ぶことが多かったような気がする。


 伝承館には、大川地区で被災された方々の証言も展示されていた。その中でも印象に残ったものを2つピックアップした。
 被災地慰霊の旅を機に、震災関連の書籍を何冊か読んだ。そのうちの一冊に、宮城県南三陸町の公務員「遠藤未希さん」のお母様・遠藤美恵子さんが書いた「虹の向こうの未希へ」という本がある。「本当は手を合わせたいけど、報道の方が沢山いる。そっとしておいて欲しい」というのは遠藤さんの著書にもあったことを思い出した。

 「亡くなった両親の顔は見ないほうがいいと言われていて、見ていない」というものもあった。去年(2022年)2月に石巻の震災伝承施設「MEET門脇」で見た、被災者の実体験を描いた漫画動画を思い出す。「子どもにはショックが大きいから」と、親御さんの顔を見ることなく「お別れ」したという女性がいたという内容だった。
 2022年10月に気仙沼・陸前高田に行ったあと、陸前高田市の戸羽太市長の著書「被災地の本当の話をしよう」を読んだのだが、戸羽市長は震災で奥さんが行方不明となり、震災からおよそ1ヶ月後に遺体で発見された。戸羽市長は遺体安置所で奥さんの遺体と対面したが、2人の息子さんには「きれいなままのお母さんのイメージを残してやりたい」と考え、息子さん達には知らせず火葬したという。


 帰りのタクシー(大川小学校→石巻駅)は15:30頃に来てもらうよう、雄勝タクシーさんの運転手さんに伝えてあった。もちろん早めに連絡して来てもらうことも可能であると伝えられていた。
 12:25に大川小学校に到着してから13時過ぎまで校舎外観を見学し、大川震災伝承館の展示を一通り見学し終わったときは14時近くになっていた。風が強いし寒いしそろそろ帰ろうか…とも考えたが、時間とお金を掛けて大川小学校まで来たのに、早く帰ったら後悔するのではないかと思い、校舎の写真を別アングルから撮影したり、周辺風景の写真撮影をしたりして時間を潰していた。

 そして再び校舎を見学。校舎内部の様子は伝承館の展示等でしか知ることができないため、内部の様子を知ってから校舎を再び見学すると、また違った見方ができる。その後、暖を取るために再び大川震災伝承館に入り、パソコンで被災後の校舎の様子を360°のパノラマ写真で見た。
 通常の教室以外にも、家庭科室など特別教室などもパノラマビューで見られた記憶がある。しかし、道具などは津波で流されてしまったのか、何も残っていなかった。

 校舎と震災伝承館を2回ずつ見学し、ついに15:25に。大川小学校の駐車場にタクシーが待機していた。行きのタクシーと同じ運転手さんだった。

 それでは次回に続きます!