こんばんは!あずさです☆

 

 1/28(土)から1/29(日)にかけて、3度目の東日本大震災の被災地慰霊の旅で、宮城県石巻市に行っていました。石巻は2022年2月に行っていますが、今回の旅では、震災遺構となっている「石巻市立大川小学校」と「石巻市立門脇小学校」を見てきました。旅のタイトルとしては「2023 石巻・2つの小学校を訪ねる旅」ということになります。

 

 石巻市立大川小学校といえば、全校児童108人中70人が犠牲となり、4人が今も行方不明となっており、学校管理下にあった子どもが犠牲になった事件・事故としては第二次世界大戦後で最悪のものとなってしまいました。教職員も10名が犠牲となっています。

 子どもを亡くした親御さんが学校側を相手取って裁判を起こし、震災当時大学2年生だった私は「予測できなかった災害なのに、学校や先生が悪いのだろうか…」と気が重くなったものです。

 また、これは個人的なできごとですが、私が前に勤めていた職場で「震災絡みのひどい発言」を受けたこともあり、私の「学校や先生が悪いとは全く思えない。人間にはどんなに頑張ってもできないことがある」という考えが間違っていないことを、必ずこの目で見たかった…というのもあります。上手く表現できませんが、大川小学校は生きているうちに必ず、自分の目で見たいという思いをずっと抱き続けていました。

 

 そしてもうひとつ見学した「石巻市立門脇小学校」は、2022年4月から一般公開された震災遺構です。この遺構は、東日本大震災の遺構の中で唯一、「津波火災」による痕跡を残す遺構でもあります。

 去年(2022年)2月に初めて石巻を訪れたときに、門脇小学校のそばを通りましたが、その頃は一般公開に向けて工事中であったため、中に入ることができませんでした。再度石巻を訪れて(門脇小学校を)見学したい、とずっと思ってきました。

 

 

 今回の旅では初めて、「犠牲者が出た震災遺構」を見学しました。子どもたちだけでなく、学校周辺にあった集落に住んでいた人々も犠牲になり、周辺地域は「非可住区域」となり、故郷で生活を営むことができなくなってしまった現実を知りました。

 

 改めて、東日本大震災の被害が広範囲に及ぶこと、地域によって受けた被害が大きく異なることを感じます。

 

 どのようにしたら読者の皆さんに伝わるかを考えながら、ブログを書いていきたいと思います。