私の大殺界パート2 独立編 | ほっと一息していきませんか?

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大殺界パート2



それは独り立ち編です

1度目が妹の誕生で私がお姉ちゃんになったことなら



次の家庭のことに置いての変遷は独立でした



その時は家庭の事情、クライシスとこのことを自覚していましたが今思うと長い人生の中では、他ならない自分の人生の中の巣立ちだったと思えます




高校を卒業してどう暮らすかだったと思います



家から独立する

生まれ育った家を街を出る

とてもホームシックだった気がしなかったくらいに家庭環境が変わり暮らしに色んなことがあり過ぎました



経済的にも自立し

家族と離れて暮らす

田舎から上京して思うように家族と会えない




しかも、父親は闘病中です母は介護で仕事に就けず

否応なく私は独立する運びになりました




寮生活ということ、同じ学校から同級生が私を含め5人で上京したので家族と離れたとはいえ寂しくはなかったことを覚えています



独立と実家には後戻りできない

巣立ちでした



遅かれ早かれ天国へ行くことが告知された父との離れて暮らすもどかしさや傍で介護できない申し訳無さが募ります



そして就職して独立せねばならない状況に、その当時は鳴門の渦潮に揉まれているかのように思えていました



抗う事のできない渦でした



しかし、波に揉まれていようとも看護師を目指し国家試験を合格し看護師として泳ぎ切るんだと言う目的は見えていました



今思っても思い通りにはいかない時代でした



すべてが早送りで何をどうやったかはあまり覚えていないようで、はっきりとシャッターでストロボを焚いたようにも似て鮮明に覚えているもんですね



なんか、今思えばやることと言うか使命が多かった気がします

やることてんこ盛りでした

独立への準備期間はです



やること多過ぎて支離滅裂になる日々でした



親がターミナルなのに友達と遊園地巡りをしたりちゃっかりして過ごしたことも忘れません



経済的には、お父さんが倒産して貧困に暮らすかと思いきや、私は就職して寮暮らしのため少しばかり財布は潤っていたと記憶します。



家にいる間はお小遣いも定期制ではなかったので、毎月お給料が入ると生活費を除いても手元にあるお小遣いは破格の値段に思えたものでした



ウハウハ😊と感じていたことも事実です




こんなにお小遣いもらっていいの?!と大学へ進学せず就職したのもつかの間、大学進学を諦めたことは些細な逆剥けくらいの疼きには薄れていきました



もともとこだわりは少ないためか、新しく学ぶ医療に染まっていきましたし、命の大切さやケアの真髄を学ぶことで感化されるのに時間はかかりませんでしたことを覚えています



就職したとはいえ仕事が学生の身分でしたので特殊な環境にいたと思います

3年間はほぼ学生気分で過ごしました




親元を離れ友達と過ごし暮らす

その3年間に目まぐるしい日々を送っていました

流されて流されて東京まで行きました




都会だったわー

なんかいろんなことがあった気がする

家族を扶養に入れることを考えたり

独立だけじゃなかった気がする



結局、扶養の件は母親が断ったので私は独立したに過ぎませんでした



3年間の間にお付き合いする人も現れて、薄い結婚を匂わせるそんな状況もあったりして



家族から離れると、そこはもう次の新しい家族を構築する準備期間への移行にも思えました



いろんな選択肢とフェードアウトの末に

自分の思いとは裏腹な結果になったかに見えて

自分で選び取ったにも思えてきますから不思議です



大殺界の最後の最後に父親が天国へ召され



大殺界を明け

看護師の免許を取り

看護師として働き始めます



それが自立の一歩でした



その頃つきあつてる人と結ばれてお父さんに孫の顔を見せるのも人生の選択だなと思えたり



せっかくこの様な状況で資格を得るために就職ではありましたが学校へいかせてもらったと言う気持ちもあり



卒業してそのまま結婚するには若い2人です暮らしていけるのか不安はありませんでしたが、新卒で結婚して子供を育てる自信はありませんでしたから



私の優先順位としては、看護師をしながら父親の闘病を支えるつもりでUターンを決めました



しかし、父は私の看護学校の卒業を待たずに亡くなりました

3年生のお正月に帰省して

春になったら卒業して地元に帰るからねと上京した3日後に天国へ行きました



死に目には会えませんでしたし

約束の看護師になったら帰ってくるねと言うその日を待たずに逝ったのでした



なんなん!?呆気にとられました

長くなるかも知れない介護の覚悟をしてUターンを決めたのに?!です



思う通りにいかないですね

東京にそのままいれば良かったかしら?

大学進学を諦めなければ良かったかしら!

いろんな思いが込み上げましたが



後の祭り

当時の彼ともお別れした後です

田舎でターミナルを看取る覚悟をしたのに父親は天国へ旅立ってしまいました



ナンノコッチャねー

私は自立するしかない道を選んだだけでした




何かが手のひらに残る

それを大事にしていけばいいと思う大殺界なのですかね



結局は働くと言うことに落ち着いたのでした




それから看護学校を卒業してからは仕事を覚えるのに3年はかかりました



あっという間でした



うん、父親の初盆、一周忌、三周忌を終えた頃には仕事も一人前のひよこにはなれた気がします




今思えば

二度目の大殺界は独立準備に当てられたのでした

家族から離れて暮らすそういう時代でした



家族構築からみれば独立して新しい家族を見つけ始めた頃と言えます



実家を出て、学校へ行きそのまま新しい家族を作るには私には早すぎたのです



齢21歳、大殺界は明けたのです

私がその後新しい家族と出会うには少しばかり時を経ることになります



人の人生が概ね

生まれて育ち学校へ行き

働き始めて

パートナーを見つけて新しい家族を構築していくのが大筋ならば



途中までは大筋それに沿った事になります



予定は未定と申します

大筋から逸れた今

また実家へ帰り4度目の大殺界を迎えることになります



そうだった!

3度目の大殺界もあったんだ!

あれは何だったんだろう



今思えば、フェードアウトの様で消化しきれていない

今もって未解決の3度目の大殺界なのです



人生の課題を置いてきたような気もいたします

それは34歳の頃の私です



あの頃から時が止まった気がいたします

脱サラしたあの時からです



それからの日常が慌ただしく過ぎてきたとはいえ

振り返ることなく目を逸らして来ただけかも知れません



もうすぐ脱サラして20年が経とうとしています

それは離脱なのかドロップアウトなのか



離婚したのかされたのかに似て

ある一面だけで切り取ることは難しいという面を持つことに違いはありません



家庭と暮せば仕事の両立にオーバーワークしたし、板挟みに気を揉んで病みましたし



全て私一人で決められることではなくなり

思い通りにはいかないことも増えますね




話し合い折り合っていく道を決め未解決事項をなるべく減らして行きたいものですと思いました