素晴らしい秋晴れの一日でした⭐︎
日が暮れるのが本当に早くなりました

歳を重ねると、若い頃とは少し違い
不思議と季節を感じると、心が温かく感じるようになり
生命も尊く感じるようになるものです

ということで
大人になったことだし笑
そろそろキタガワふみという人間の人生を振り返ってみました

このプロフィールと心身克服の経緯が
世界の必要な方に届き
心のエネルギーへと伝わることを
祈っております





1974年
1974年6月30日生まれ、一児の母
(キタガワふみ自己紹介はこちらから)
1982年
母が側弯症に気付く

1984年
父の借金が原因で家族が離れ離れになる

1984〜1992年
夜逃げ後の学生生活は、華道、茶道、水泳に専念することが心の支えとなる
(茶道、華道:石州流竹鼻社中の後継として)
(近畿大会2位の実績を持つが、高校推薦入学は家庭の事情のため辞退)

1992年
自身の学費のための借金を返しながらアルバイト生活

1994年
いくつものアルバイトに限界を覚え、手に職をつけるため
不動産広告関連のオペレーターとして外注にて仕事を開始
普通高校卒業、一切の資格なし、独学で一年間猛勉強の末

1996年
有限会社デュースを設立(不動産広告関連)
取締役としてオペレーションの一切を管理

1997〜2009年
23歳で結婚、25歳で出産(産前産後1週間だけ仕事を休む)

事業を軌道に乗せるも、
仕事仲間が心の病に倒れていき
職務内容に疑問を覚え始める
病の仕組みがわからないまま、
自身も昼夜問わず仕事をすることに

2009年
身体の無理がたたり倒れ、心も体も辛く動けなくなる
在宅でしばらく携わった後退社


ラヴァブルワールドメソッドに出会い
自身を叱咤し頑張り続けることが良いという、
観念の偏りに気付く

セルフセッションと自愛を始める

みるみる生命力を取り戻し、体が楽になり、
口コミでセッション開始


その後、保険営業、飲食業を経て
(この間も口コミにてセッションは続行)

2017年
死ぬまで続けたい仕事を選ぶ決心をし
セラピスト一本に専念

自身も生きづらさや身体の苦しさは激減し、
それを見た周囲の人の口コミ、
セッションによって変化された方を見て、の口コミ、
ご紹介のみで、
セッション実績は300名を超える

精神疾患、生きづらさを抱える方々が
自分らしい楽な生き方と
心身のご健康を取り戻されるお姿を見続けている





私自身、突発性側湾症という症状と人生を歩んでいて、ずっと苦しんできました

苦しみから克服出来たと言える今、
その経緯で、クライアント様の軌跡と共に明確になってきたことをお伝えしようと思いました

何らかの症状で苦しまれている方に、
とても必要なことだと思ったからです



まず、私の症状
乳幼児期側弯症:3歳以下で発症
学童期側弯症:4~9歳に発症
思春期側弯症:10歳以降に発症


未だに原因がわからないというものが、
側弯症のうち80から85%を占めると言われています


私の状態は、
ただの側湾、歪みだけではなくて
脊椎のねじれ(回旋)を伴った側弯で、簡単にまっすぐに戻らなくなった状態でした

8歳の時に兄とじゃれあっている時に
丸めた背中を見て母が何か変だと気づき整形外科へ連れて行ってくれたのが始まりです
(当時は湾曲20度くらい)

8歳の私は
成長期の成長(背丈)が伸びにくくるなると言われたことが残念でした

側湾には水泳が良いと聞いた両親が習わせてくれすぐに没頭しました
とにかく夢中になっていき、近畿では1位2位を争うほど強くなっていきましたが、

痛みというより、当時は筋肉がバランスよくついてくれないことに苛立っていました


片方だけの筋力が発達し背中は見事にボコボコで、
それも気にしていました

しかも、発達していない方を鍛えようと努力しても
発達している方がさらに発達してゆくのです
(後々理解したのですが、身体を使う癖によるものでした)



当時は、自分自身はもちろん
トレーナーのコーチもどう対処すれば良いかと
誰も、何もわからず、

有名な整形外科へ連れていってくださったりしてくださいました

あんま、鍼、カイロ、スポーツ整形、美容外科様々な場所へ行きましたが
解決はできないまま大人になりました


途中、進行の経過をレントゲンで確認しつつ成長していきました
(ある程度曲がると外科手術という方法もありましたが私はそれだけはなぜか選びませんでした。

ある時、外科手術を受けた海外の方の様子を見て、体内の骨はまっすぐボルトで固定はされていたものの、筋肉、肩甲骨の位置、外からの見た目は変わらないと認識したからかもしれません)


いまでも外科手術は受けず、そのままです
最後にレントゲンで確認したのは36歳くらいの時ですが
上43度、下30度、さらに旋回している状態だったと思います
(現在44歳でございます笑)




学生の頃はスポーツに熱中したことでなんとか避けられていた違和感は
社会人になり、痛みとして苦痛に変わっていき始めたのです

そもそもなぜ痛みを感じるのかというと
歪みや捻れが神経に触れるから


それに伴い、肋骨も変形するので、身体が硬くなった大人になってからは
肺が思うように開かず、過呼吸⇆酸欠を繰り返すようになりました

急に意識が一瞬落ちたり、は日常茶飯事
急に右手が麻痺したり、足が上がらないなどなど
それもしょうがないと思いつつ苦痛なので

当時通っていた整体の先生にはよく文句を言ったりして。。笑
ごめんなさいね、先生


考え方も、
生い立ちの影響が大きいと今は思いますが、
仕事も人並み以上やりきれば
きっとあのスポーツに集中していた時のように
なんとかいける所までは行き着くと
自分に叱咤し続けていました



できれば痛みを感じることのないように
できる限りそのことを忘れてしまえるように
自分の中でなかったことのように過ごすことで結果、倒れました

心も体も限界でした


セラピストになるきっかけになった時期はその頃です



側湾症の原因が
「心」が関わっているという説は昔からなんとなく耳にはしていて
でも、親はそんなこと認めたくもない部分でもあったと思います
自分の子供の心。。。なんて親のせいになりがちで、
しかも、噂程度の情報でしたから


ようやく私の中で
原因不明だと言われる自分の身体のこと
そして心のことを、
自分は知ってあげてもいいんじゃないかと

ふと思ったのです




それからとことん曲がって捻れた意味を調べました

脳の電子の繋がり
感情と体内の繋がり
神経系と体内の繋がり
潜在意識の反応

貪るように調べている時は
そんなに私は自分という人間を理解していなかったのか。。。
そればかりが明らかになる感じがして当然全然スッキリしません

原因だけを追い求めても、苦しいだけしかないやん。。。と
痛みも当然なくなりません
苦しいのだから、さらに捻れを促進するだけでした

愕然とした時に。。大きな転機がきました


うん?となったのです
疑問が浮かんだのです


側湾症が私のやりたいことを全て妨げてるのかな?
ふと思ったのです


「この原因不明だと言われる症状が、本当に私のやりたいことや幸せを妨げているのか」



いや、いや、待って
痛みはあっても
スポーツではそこそこ有名になって
仕事は20歳で独立して熱中
母にもなれて
また、仕事で新たな世界へ挑戦をさせてもらって

やりたいこと、人並み以上にやれてる。。。



ラヴァブルのメソッドに出会い
自分を愛することを日々実践する中で
初めて感じた思いでした



痛みが私の人生の幸福を妨げては、いなかったのです



それから、奇跡的に痛みはやわらぎ
それどころか

気にもならなくなりました




今では無理をすれば筋肉痛のように
痛んだり、疲れたりすることはあっても
その理由がはっきりとわかりますから、対処方法もすぐわかります



症状自体が私の人生を妨げてはいないことを
顕在意識と潜在意識の双方で納得し
痛むことへのフォーカスが緩むことで
神経系の伝達、筋肉も緩むことに繋がると確信しました


実際に痛みを気にすることが激減し
忘れてしまうことの方が多くなり
今ではまったく気にならなくなりました



私自身の経験、クライアント様との出会いから
原因追求をすることが全てではないということ
完治することが全てではないということ
を体感しました



そりゃ、原因追求をしてこれだ!という答えがあれば頭はすっきしますし
対処法もわかるのです
原因が物質で取り除けるものなら、手術という方法があります


ですが
ただ、取り除くだけでは
また同じことになってしまうことも
見てきました






病のきっかけは
先天性のものではない限り
ストレス、生活習慣、生い立ちからの
物事の捉え方、が多大に影響しています



それは意識できる領域と無意識の領域どちらにも
原因があり
心の傷も肉体的な傷も、何かがきっかけとして存在します



自分の中に答えは必ずあります



私自身の経験とクライアント様の軌跡より
ご自身の身体の声、心の声を本気になって
偽ることなく受け止めてあげる決意が整った時
必ず、辿り着く場所があります


私は、コーチ・伴走者となります