【チベット死者の書】07 閻魔大王2 閻魔大王、善行・悪行ってなんですか? | 宇宙の叡智を降ろすブログ

宇宙の叡智を降ろすブログ

数秘チャネリング鑑定をしています。

閻魔大王、善行・悪行ってなんですか?


出典:閻魔様のお話

引き続き、閻魔大王とチャネリングします。

 

 

フミ:

では別の疑問をぶつけてみたいと思います。

 

それは、善行とはなんぞや?悪行とはなんぞや?

 

です。

 

 

今の世の中、善や悪は軽視されているように思うんですね。

 

例えば、本人が善かれと思ってやったことだが、結果として悪いことが起きたとか。

他人に意地悪してやるつもりでおこなったことが、結果としてその人の為になったとか。

こういうことはどうやって裁くのでしょうか?

 

 

 

閻魔大王:

確かに1つの事柄に関して、これが善行だ。悪行だとハッキリと決めることは難しい。

しかし、それは難しいだけで、善行と悪行は存在する。

あなたがた人間が歩む、短い寿命の視点では理解できないだけで、それはハッキリと存在する。

 

 

フミ:

・・・まぁ、私も最近そう思うようになりましたが😅

(根拠もあるのですが、ここで書くと長くなるので書きません。)

 

 

閻魔大王:

学習の成果はあるようだが、お前の理解はまだまだ不十分。

ここでは仏教的、特にチベット死者の書においての話を語ろう。

 

 

チベット仏教では、悟りを開き、解脱する。輪廻の輪から抜け出すこと。

これを最良としている。

 

この観点から見れば、生きている時の行動は、善行と悪行は明瞭に分けられる。

 

 

閻魔大王:

別の文化圏の話をしよう。

既になくなってしまった文化だが、極端でわかりやすく、知名度もあるので取り上げてみよう。

ヴァイキングだ。

 

ヴァイキングたちは勇敢に戦って死ねば、ヴァルハラにいけると信じていた。

しかし、それは仏教的観点から見れば、戦いのカルマの果てに、

来世はアシュラ(半神)の領域へ生まれ変わることを意味している。

 

ヴァイキングの理想の来世と、仏教との理想の来世は異なる。

だが、それは言葉の使い方が違うだけであり、

その根底には明確で共通の法則が存在しているとは思わないか?

 

かくして、輪廻から抜け出すことを最上の目的とすれば、

ほぼすべての生前の行動は、

善行(輪廻から抜け出せることにつながる行動)

悪行(カルマにより一層縛られ、輪廻にさらに巻き込まれていく行動)

にわかれていくことは、必然に近いのだ。

 

 

フミ:

ふーむ、なんだか説得力のあるお話ですね。

 

死者は、肉体を失っているわけですから、もっているものは心と行動によって蓄積されたカルマのみ。

その心とカルマが次の転生する世界を決めていくわけですね。


2023/09/25追記:一度手違いで消してしまったので復元しています。
元と同じだと思うのですが、装飾などが違うかも知れません。

イエローハート数秘・チャネリングであなたの使命、才能、運命がわかります。
数秘・チャネリングセッションはこちら
セッションの感想はこちら

チャネリングブログ(FC2ブログ)

プロフィール

友だち追加  スピリチュアルランキング