閻魔大王、善行・悪行ってなんですか?
出典:閻魔様のお話
引き続き、閻魔大王とチャネリングします。
フミ:
では別の疑問をぶつけてみたいと思います。
それは、善行とはなんぞや?悪行とはなんぞや?
です。
今の世の中、善や悪は軽視されているように思うんですね。
例えば、本人が善かれと思ってやったことだが、結果として悪いことが起きたとか。
他人に意地悪してやるつもりでおこなったことが、結果としてその人の為になったとか。
こういうことはどうやって裁くのでしょうか?
閻魔大王:
確かに1つの事柄に関して、これが善行だ。悪行だとハッキリと決めることは難しい。
しかし、それは難しいだけで、善行と悪行は存在する。
あなたがた人間が歩む、短い寿命の視点では理解できないだけで、それはハッキリと存在する。
フミ:
・・・まぁ、私も最近そう思うようになりましたが😅
(根拠もあるのですが、ここで書くと長くなるので書きません。)
閻魔大王:
学習の成果はあるようだが、お前の理解はまだまだ不十分。
ここでは仏教的、特にチベット死者の書においての話を語ろう。
チベット仏教では、悟りを開き、解脱する。輪廻の輪から抜け出すこと。
これを最良としている。
この観点から見れば、生きている時の行動は、善行と悪行は明瞭に分けられる。
閻魔大王:
別の文化圏の話をしよう。
既になくなってしまった文化だが、極端でわかりやすく、知名度もあるので取り上げてみよう。
ヴァイキングだ。
ヴァイキングたちは勇敢に戦って死ねば、ヴァルハラにいけると信じていた。
しかし、それは仏教的観点から見れば、戦いのカルマの果てに、
来世はアシュラ(半神)の領域へ生まれ変わることを意味している。
ヴァイキングの理想の来世と、仏教との理想の来世は異なる。
だが、それは言葉の使い方が違うだけであり、
その根底には明確で共通の法則が存在しているとは思わないか?
かくして、輪廻から抜け出すことを最上の目的とすれば、
ほぼすべての生前の行動は、
善行(輪廻から抜け出せることにつながる行動)
悪行(カルマにより一層縛られ、輪廻にさらに巻き込まれていく行動)
にわかれていくことは、必然に近いのだ。
フミ:
ふーむ、なんだか説得力のあるお話ですね。
死者は、肉体を失っているわけですから、もっているものは心と行動によって蓄積されたカルマのみ。
その心とカルマが次の転生する世界を決めていくわけですね。
2023/09/25追記:一度手違いで消してしまったので復元しています。
元と同じだと思うのですが、装飾などが違うかも知れません。