閻魔大王って現代では廃れたよね
フミ:さて2回にわたって、閻魔大王の裁き(ラクシャー・マンチャム)を取り上げました。
善悪の観念が今の日本とはいささか違いましたが、
それでもわかりやすい勧善懲悪の劇でした。
さて、私が疑問に思うのは、
閻魔大王ってホントにいるんですか?
ということです。
閻魔大王は、インドから中国経由で日本に伝わってきました。
つまり過去では、当然信じられていたわけです。
ですが現代、特に近年のスピリチュアルでは、
死後の裁きについてはあまり省みられていないように思います。
ちょっとネットを見たところをまとめると、以下の感じでした。
肯定派↑
・閻魔大王はいると思う人
・人間の意識が作っているだけ。だから人によって見たり見なかったり。
・人の意識によって地獄のような所へ行く場合もある
・宗教が支配するための作り話だ
・そもそも死後の世界を信じない物質主義者
否定派↓
閻魔大王、または死後の裁きを、あまり信じている人はいないように感じました。
前回の記事を書くにあたり、閻魔大王とチャネリングをして、色々聞いたのですが、、、
あらためて本人に聞いてみましょう。
閻魔大王とのチャネリング
フミ:閻魔大王さま、閻魔大王っているんですか?
つまり、私が話しているのは、ただの概念では?ということです。
閻魔大王:そりゃぁ、いるだろう。
もちろん、生物学的に存在していると言われれば違う。
神さまが一々裁判を開いているかというのもまた厳密には違うのだ。
先ほどの記事は劇であったが、
実際の死後の裁きとは、死者の意識の中でおこなわれる裁判劇といえるのではないかな。
輪廻転生する場合、まずはどの世界に生まれ変わるのかを決めなければならない。
そうであれば、世界を決定するプロセスが必要だ。
親、国は、ある程度選べるという話は伝わっていても、
誰でも天国から地獄まで自由に選べるという話は、まったく聞かないだろう?
転生の先を決定するなんらかのプロセスが存在する。
これは不思議なことではあるまい。
もちろん私が死の兆候を示す木の板と、浄瑠璃鏡で一人一人裁いているかということでは必ずしもないが、、、、
フミ:えーと、よくわからなくなってきました。。。
つまり閻魔大王はいない?
閻魔大王:いや、
たぶんお前がいる・いないと思っている範疇よりはずっとはっきりと存在している。
結局、実際に死んでみるか、
あるいは、生きていても死を体験レベルに意識を純化しなければ、
これは実感としてはわからないだろう。
閻魔大王:閻魔大王を信じなくてもよいが、
転生の先の世界を決めるのに、個人レベルでは簡単に変えられない、仕組みは明確に存在している。
この仕組みが存在しなければ、転生のサイクルが成り立たないのだから、これは理論的に存在していなければならない。
だから、存在するのだ。
フミ:閻魔大王って、けっこう理屈っぽいですね🤔
閻魔大王の従者たちは存在するのか?
フミ:では、前回までの劇に登場した18の動物神や、良心の白神、悪心の黒神はどうでしょう?
彼らもまた存在するのでしょうか?
閻魔大王:それはいささか、説明的な質問だな。
お前は既に答えを知っているだろう。
チベット死者の書において、神や仏は自分の心の象徴であり、それを見抜けば(悟れば)解脱できると説いている。
だがそれはつまり、一般的な人間の意識レベルでいうならば、間違いなく存在していると言えるだろう。
一方、悟りの境地の認識力があれば、神や仏が自己と一体だと知覚できるはずだ。
真理としては存在していないとなるわけだ。
最近の死に損なって戻ってくる人達が、裁きを見なかったからと言って、それがそのまま存在しないということにはならない。
裁きのタイミングが起きるのは、死者が死の世界にも慣れて、転生先を見つけようとするタイミングあたりだから。
そして、過去の人間は、その強靱な精神力で、生きながらにして、そこまでの意識レベルに赴くことができたのだ。
フミ:確かにそうですね。
日本では閻魔大王が裁くのは死後35日目。
チベット仏教では14日目。
もちろん明確に決まっているわけではなく、目安ということです。
ただ、もう解脱は無理で、転生先を選ぶ段階に入っていくところで、
閻魔大王の体験をするとチベット死者の書では書かれています。
普通の臨死体験では、戻って来れなさそうですね。
閻魔大王:ただ死後の世界は、夢の世界とよく似た混沌の世界であるから、あまり法則性を見つけようとしてはいけない。
死して肉体を離れるところから、新しい子宮を選んで入り込むまでの期間は、これという確かなことはなにも存在しない。
フミ:確かなものはなにもないけど、死があって、転生があるならば、その間は不確かであっても、なんらかの仕組みが存在するということなのですね。
それが閻魔大王などだと。
つづく