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【陰謀】『アラブの春』の真実②です。
前回の記事→【陰謀】『アラブの春』の真実① ミカエルの説明
今回は『アラブの春』を解説する準備として、イスラエルとネオコンについて解説していきたいと思います。彼らは現代の陰謀の源泉です。
『悪意』
大天使ミカエル:まず『悪意』について調べてごらん。
悪意
他人や物事に対していだく悪い感情、または見方のこと。
日常用語としての悪意(あくい)とは、相手にとって、害のあることを理解した上で行動することである。また、相手のよくない結果を望む、心の中に生じる意思を意味する。
対義語の善意は、相手に良い結果を導こうとして行為を行なう気持ちを指す。
引用:悪意 | Wikipedia
ミカエル:いいかい、これが『悪意』なんだよ。
ミカエル:地球上の政治は、残念ながら悪意から始まっている。それを理解しないと話は始まらない。
悪意があるから、秘密の計画を立てる。それが『陰謀』だよ。
◆イスラエルの歴史
イスラエルとは何でしょうか?
簡単に解説しましょう。
今から二千年前、イスラエルに住んでいたユダヤ人達はローマに対して反乱を起こします。エルサレムでの激しい戦いの末、ユダヤ人は敗れます。
エルサレムに攻め込むローマ軍。
個人的にこの戦いに心惹かれます。
『エルサレムの包囲と破壊』。19世紀イギリスの画家デイビッド・ロバーツ(David Roberts)による絵画。1850年。
再び反乱を起こしたユダヤ人達をローマは許さず、ユダヤ人は弾圧され、ユダヤ人はエルサレムへの立ち入りを禁止されます。
以来ユダヤ人は、住む国をもたず、各地を放浪することになります。
土地の名前もユダヤ人のライバルであったペリシテ人からとり、パレスチナと改称されます。
中世以降、「キリスト殺し」の罪を背負うとされたユダヤ人は迫害され、ヨーロッパ各地で農業、商業を営むことを禁止されます。
十字軍の騎士に殺されるユダヤ人達。
穴に入れられ火を着けられるユダヤ人達。
ユダヤ人達は、当時は卑職とされた金貸しや農奴になるしか選択肢はありませんでした。その結果、金持ちのユダヤ人が多数あらわれ、嫉妬によりさらに迫害されました。
シェークスピアの『ヴェニスの商人』に登場する、強欲なユダヤ人商人シャーロック。それが一般的なユダヤ人のイメージでした。
ユダヤ教では、救世主の到来をひたすら待つというものでしたが、やがて自ら立ち上がり、エルサレムへ帰還しようという思想があらわれます。
それがシオニズム運動で、エルサレム市街の丘の「シオン」の地に帰るという意味です。
この運動が本格的になったのが20世紀末で、ちょうど『シオンの議定書』が登場した時期になります。
『シオンの議定書』の作者だと言う人もいるが、私はそうは思わない。
◆パレスチナ
1800年、パレスチナに住んでいたユダヤ人は7000人。パレスチナ人は27万人。ユダヤ人の人口比はわずか2%でした。
第二次大戦終結後の1947年、シオニズム運動による移民で、パレスチナのユダヤ人は63万人に増加。人口比でも32%と急増します。(パレスチナ人も人口が増え131万人になっていました。)
パレスチナ問題#人口の歴史 | Wikipedia のデータを元にグラフを作成。
国連決議131により、イスラエルの建国が認められ、当時6%の土地しか所有していなかったユダヤ人にパレスチナの56%の土地を与えられることなりました。
画像は『占領ノート』掲載地図から引用
著作者:現代企画室『占領ノート』編集班/遠山なぎ/パレスチナ情報センター
国連が決めたからと、二千年前に住んでいた人達に、自分達が今住んでいる土地を明け渡す人はいません。
国連決議にアラブ側は猛反発し、アラブ連合を結成。建国されたばかりのイスラエルへ戦争をしかけます。
1948年から1973年までの第一次から第四次中東戦争にイスラエルは勝利します。
そうして、当初の国連決議よりも広い領土を手に入れます。パレスチナ人達の一部は難民として隣国へ亡命していきます。
1948年、アラブの義勇兵。どこか牧歌的な感じがします。
イスラエル兵の投降の様子。。。ではなく、実はアラブ人がイスラエル兵に変装して投降している風のプロパガンダ写真。どことなく緊張感がありません。
1948年11月、第一次中東戦争時、レバノンに向かうイスラエル北部のアラブ難民。
アラブ人達が避難したので、都市からは人影がすっかりなくなりました。
1967年、第三次中東戦争の始まり。
一次から四次まで戦い抜いたイスラエルの将軍「片目のダヤン」。
1973年、第四次中東戦争で破壊されたイスラエル戦車。
長きの戦争状態は、1978年に当時のアラブ連合の盟主だったエジプトとイスラエルはアメリカの仲裁で和平条約を締結します。以後、中東でイスラエルとの大規模な軍事衝突はなくなりました。
『キャンプ・デービット合意』。左からエジプトのサーダート大統領。米国のカーター大統領。イスラエルのベギン首相。
3年後、サーダート大統領は暗殺を予期していましたが、
「自分は、今まで永年の仇敵とされていた、イスラエルとの間に平和を作り上げた。これで人生の終わり。あとはただ昇天を待つのみである」と手記には書いています。
過激派ジハード団の襲撃を受けるサーダート大統領。
はたしてイスラエルは、平和を維持すべく方針を変えたのでしょうか?
◆現代の議定書『イノン計画』
もちろんイスラエル国が認められたからと、アラブと仲良くしようと思うユダヤ人達ではありません。二千年間の迫害の歴史は、楽観的なお花畑の思考を許しません。
平和条約から4年後の1982年、『イノン計画』が世に出ます。これは世界シオニスト機構のエルサレム情報局によって刊行された雑誌『キブニム』に掲載されました。
『イノン計画』の内容を簡単にまとめると、
○大イスラエルの建設
従来よりも遥かに領土を拡大した大イスラエルを実現する。それは多数のイスラエルの傀儡国家からなるだろう。領土は、レバノン、ヨルダン、シリア、シナイ半島の一部、イラクとサウジアラビアの一部が含まれる。
ピンクが現イスラエル(とパレスチナ領)ですが、なんという広大な領土でしょうか。
○すべてのアラブ諸国の分断
アラブ諸国の民族、宗派を独立させ、互いに争わせることでアラブ諸国を弱体化させます。これにより、皮肉にも大イスラエルだけが中東の平和を実現出来るようになるでしょう。
アラブ諸国の国境は、西洋の植民地支配によって決定されました。そのため西洋が支配しやすいように、どの国も、国内に複数の民族や宗派が存在するようになっているのです。
著者のオデド・イノン(oded yinon)は、イスラエルの元高官で、アリエル・シャロン(イスラエル首相)の元顧問でした。
『イノン計画』は、イノンによる独創的な計画などではなく、イスラエル建国以前からの方針を改めてまとめたものであると言われています。一説には、シオニズム運動の指導者ヘルツルも大イスラエルを抗争していたとも。
シオニスト運動の指導者ヘルツル。彼は1904年に亡くなっている。
◆『クリーンブレイク計画』
イノン計画は、1996年にイスラエル上級政治・戦略研究所から出された『クリーンブレイク計画』によって修正されます。
『クリーンブレイク計画』では以下のことが述べられています。
- イスラエルは(アラブ側に妥協としての)土地と平和の交換は行わず、大イスラエル建国を目指す。
- イスラエルの戦略的目標として、イラクを排除する。
- トルコ、ヨルダンと協力し、シリアを叩く。
- パレスチナ人の関係の改善
- イスラエルと米国の親密化
イスラエルは決して、アラブ人と仲良くしようとは思わないようです。徹底的にアラブ諸国を分断し、イスラエルによる中東の覇権を握る陰謀を企てています。
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