(画像はお借りしました。実際は文庫本サイズです)
最近は1冊の本をじっくり読み通すのがなかなか難しく、少し読んではまた別の本を読み、の並行読みをして、ゆっくり読了へ向かう日々です。
大体常時5〜7冊くらい、読みかけの本があります。
そういう読み方はずっとできなかったし、しようともしてこなかったけど、気づけばそれしかできない今があって、不思議な感じです。
今読んでるのは
村上春樹『ノルウェイの森』(再読)
佐藤泰志『きみの鳥はうたえる』
古賀乃子『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』
最果タヒ『コンプレックスプリズム』
岸本佐知子『ひみつのしつもん』
オカヤイヅミ『ものするひと』(漫画)
積読もわくわく、色々そばにいます。
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作家さんの様々に詳細な文章を読んでいると、世の中には色んな感性があるなと思うけれど、梨木香歩さんのそれは、私にとって憧れのひとつ。
植物や鳥、脈々と続く何か…へのセンサーと知識、感性が、ただごとではないレベルで(私にとって)繊細で豊かな感じがする。
人は世界を見聞きして、思いを馳せる生き物だと思うけど、この作家さんのその営みの流れは、自然界と繋がる逞しい頼もしさと、編み物のような柔らかさ、緑や川や海の水々しさ、そして人らしい温かなユーモアや知性に彩られてるのを感じる。読んでいると、生きることの喜びが自分の中でも華やぐ。これから、知らないことをまだまだ、知っていきたい、と息巻く心も生まれる。
ぼんやりした形容だけで済ますのは勿体無いけど…
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今回のエッセイは、過去様々な場面で書かれたものをそれぞれちょこまかと集め直して書籍化されたものだそう。
一番刺激されるのは、好奇心を行動に変えて、どんどん、知ること/体験すること、に繋げていかれるところ。
本に尋ねる、場所へ赴く、人と関わる。
そのことの灯り。
その周辺には、ただ幸せとか、そんな言葉で済まされない凄惨な世界がもちろん存在しもし、そこに真摯に向き合う作家の姿に胸打たれた。
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真剣に生きるとか、誠実に在るとか。
そのことを高らかに周囲に叫ぶ必要は、たぶんあまりなくて。
最近私は、そういう生き方をしてきた側面のある自分だということを、反省してる。
何を求めて、自分の中の様々な声を、人に知らせることを求めるのやろ?
「求める何か」のなかには、ピュアなもの、雑多なもの、色々あって、どちらが良いとかではないのかもしれない。
だけどなんとなく、純粋だろうが不純だろうが、発信に繋がるべき動機と、そうでない動機がありそうに思える。
自分のために。
心を取り巻く外界や、自分の内界と繋がることの喜びが、
どう?この私!
という感性に繋がってしまうのは、
私にとっては危険なこと。
それが必要な人や場合もあると思う。
だけど、私はその、
ここに、私がいる!
という過剰な意識に、たぶん、個性的、個人的な、大小様々な沢山の喜びを、見失わされてきたと思う。
シェアするために生きてるんじゃない。
繋がるためだけの人生でもない。
どちらもすごく大切なことだけど、
出発点にある自分や他者、
それぞれの個人的な体験に、
まずとことん、自分なりに向き合いたい。
うまく言えないのですが、私にとって、
このことの捉え直しはすごく大事なことでした。
またスマートにまとめられたら、
まとめてみたいです。
ごちゃごちゃになってしまいました💦