元旦の肋骨骨折により、調整に難儀しました。
骨はズレていないので、ある程度固定しておくくらいしか出来ない。
しかし、痛みが強く夜は体動の度に痛みで目覚め、しんどい日々した。
年明けからは何度かテーピング固定して、ゆっくりと数キロ走る程度。
スピードを上げると着地の衝撃と呼吸で胸郭が広がることで痛みが出る。
レース2日前に1km4分台のペースで走ってみたら、無意識に深く呼吸することを抑制してしまい、浅く速い呼吸となり、過換気状態…。
多少痛いのは我慢して意識的に深く息をしていくことで、何とか呼吸もある程度普通に出来るようになった。
大きく腕を振って、胴体が捻れると痛いのでストライドも伸びません。
当日はレースのアドレナリンで、意識的にストライドを伸ばしてみます。
この駅伝大会は全区間3km以内と、ファンランで参加できるのがいい。
6区間あり、周回コースを2周します。
今年は過去最多144チームがエントリーした。
当院からも例年通り2チームが参加。
自分は速い方のチームの4区。
一番距離が長く(といっても2.75km)、一番アップダウンがある区間。
今回は1km3分台で間違いなく走れる人が2名参加出来ない。
間違いなく3分台で走れるのは1区と4区の自分。
が、自分はこんなコンディション。
レース当日。
朝の気温は氷点下。
日が昇り少しずつ気温が上がるが風が強く寒い。
富士山はくっきり
自分は同じコースとなる1区の皆さんのスタートを見送ります。
号砲。
一気に選手たちは駆け抜けていく。
大急ぎでアップします。
ストライドを広く、かつ着地は優しく。
痛みはそれほどでもない。
3区にタスキが渡ったとの情報が入り、出走準備。
タスキを受け取る。
最初の約1kmが登り、そのあと約1kmが下り、最後はフラット。
前には何人かの選手が見える。
前を捕らえたい。
しかしまぁ、自分は軸のないグラグラした走りだなぁ…。
肋骨痛くて体幹トレも出来ていないし、仕方ない。
そんな走りでも登り始めると前との距離が縮まる。
やはり、自分は登りが強いのかな。
次々と選手を捕らえていく。
斜度は次第に増し、何人もの選手の背中が大きくなる。
1kmを3分55秒。
登りでこのタイムなら、平均3分台は大丈夫だろう。
登りのピークまでに10名位捕らえられたと思う。
下り。
思ったほどストライドを広げられない。
狭い歩幅てしか走っていなかったからか、着地の衝撃を小さくするための無意識の反応か。
今度は逆に前を走る選手との距離が縮まらない。
降りきって左折。
おぉ、向かい風だ…。
ペースを上げたかっが上げられない。
何とか5区にタスキをつなぐ。
結局下りと平地では順位上げられず(苦笑)。
1km平均3分50秒。
去年より少し落ちてしまった。
1区を走り終えた同僚が迎えてくれた。
もう1チームも無事にタスキをつなぐ。
スタート地点に戻ります。
戻ったときには、もう両チームともゴールしていた。
順位もタイムもまずまず。
皆さんそれぞれ力を発揮し、いい笑顔。
職場の偉い方々もゴール近くで迎えてくれました。
職場の絆が深まりますね。
何人も以前ご入院されていた患者さんが沿道で応援してくれていました。
また、普段より関わりのある近隣の医療機関、福祉施設さん達とも声をかけあったり。
これらは地元の駅伝ならでは。
次のレースは青梅マラソン。
これも地元みたいなもの。
職員も患者さんも多いエリア。
痛みと相談しながら調整します。