晴れの日は眩暈するほどの光溢れて
その神々しさに胸を打たれる
雨の日は地球の重力を一心に集め
その重々しさに立ち竦む
忘れてはいなかったか
春の日の七色に変わる夕空を
夏の雲の白さを
秋の月のさやけさを
冬羽ばたく鳥の切なさを
空がほんとは青いことを
忘れてはいなかっただろうか
モネが見た風景はどんなだったろうか
ぁ 気がついたら9月
半年 夢中で転がって
価値観とプライド エゴと親切 それにスケベ心がせめぎ合う、
妙な妙なお鍋でぐつぐつ煮られている。
出汁が出るか具に味がなくなるか、
どちらにしてもおいしい鍋にはならないけれど
山椒は小粒でもピリリと辛い。
味噌を混ぜ、秘伝の味を熟成させたらみんなでお腹を壊すに違いない。
しかし且つ、
目に力を宿す人、
希望を見失わない人、
同時に悩める人までも、
なんと魅力的に見えることか。
この頃はひたすらに濫読の日々。。
細切れの時間を埋めるのに、取り憑かれた様に本を読んでいる。
ふと顔を見上げると月が円かったり、
蝉がないていたり、
夏の終わりのひまわりだったり、
電車の吊り広告だったり、
本って、なんだろう。
時と場合による相性がある。
隣の人の声が気になって全然集中できない時、
降りる駅を忘れるほど没頭する時、
驚くほど差が激しい。
当たり前なのかもだけど。
でも読んでいるのは、例えば同じ林芙美子。
変化しているのは僕の心の方。
昨日まではロバート・キャパでも、
今日はホリエ本な気分。
こんな風に、本は心を映すから、
本当に鏡みたいだなって思う。
鏡の中の自分にも味が出てくるといいな。
傑作、駄作、
そんな評価はナンセンス
たぶん僕も壊れてて、
まるで磁石に吸い寄せられるように手に取ってしまった一冊。
本自体から負のオーラ、痛いオーラが出まくっていて、
僕なら、本当に心が健康な時ならまず読めない。
作者自身があとがきに書いているように
自らをエグりとるがごとく精神ギリギリの鬼気が迫ってくる。
「いまだに僕はこの小説を客観的な目で読めない。
読み返すたびに軽く錯乱する。冷や汗をかく。」
というのは間違いなくホンネだと思う。
不健康な人間の、
不健康な人間による、
不健康な人間のための、
「セカチュー」
でも、
この本を笑って読めたり、
冷静に評論できたり、
素直に感動できるヒトは、
心のそこから幸せなヒトだと思う。
はじめて訪れたアラブ世界の印象は、
「濃い」という一言につきる。
照りつける太陽と熱風、
腹が立つほど青々しい空、
朝五時から鳴り響くアザーン
(イスラーム教のお祈り、
お経をスピーカーから大音量で流しているイメージ)、
脂ぎったアラブ人と強烈な体臭、
すべてが強烈で容赦ない。
ヨルダンの国境を越えてイスラエルに入る辺りで、
顔はかわいくても態度はかわいくないイスラエル人の女性兵士は、
いくらお世辞を言っても クスリともしない。
同行した友人は行方不明になる。
前途困難な旅を早くも感じさせる幕開けだった。
和平への大いなる一歩か。
それとも更なる混乱の幕開けか。
なぜか最悪のシナリオを考えてしまう。
ガザ入植地からの撤退。
連日報道される『排除される入植者たち』
涙を飲んで行われるガザ撤退
入植者の立ち去った入植地
管理しきれない自治政府
なだれこむ群集
破壊される「元」入植地
『成果』を主張するパレスチナ過激派
パレスチナ人に対する膨れ上がる反感
「それみたことか」
国際世論すら否定的になり
弱まる国際社会からの干渉
国際社会から隔離された占領政策の再開。。
ああ
交われど重ならない思惑が不安にさせる。
杞憂にすむことを願う。
これが真に大いなる一歩であることを、
意味のある一歩であることを
心の底から願う。
いつか見た風景。
あれは夢か思い出か。。
夏の幻がある。
いつまでも追いかけてくる長い幻影。
暑い夏から終わらない長い旅が今も僕を捉えるから、
僕はいつも逃げてきた気がする。
昨晩も蝉が、
青白い電燈の下で仰向けになって騒いでいた。

