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Be Fully Human

「日本とフィリピン社会により広く大きな貢献をする」ことをミッションにした青年による、その実現までの道のりを綴ったブログです。このブログを通して、ひとりでも多くの方が「ごきげん」に人生を送っていただければ・・・、そんな願いを込めてお送りします~。

フィリピン人の強さや明るさといったことについて前回書いてみましたが、では災害復興支援なんてしなくても大丈夫!ってわけではもちろんありません。

被災地タクロバンで出逢ったあるひとりの女の子のストーリーです。

シャエラという16歳の女の子。


現在、僕が一緒に活動している現地団体で、ボランティアメンバーとして支援活動をタクロバンで行っています。

被災者であるにもかかわらず、です。

・・・

彼女は今回の台風災害で両親、9人すべての兄弟、家、全てを失いました。

文字通り、「すべて」です。

彼女と出逢ったのは昨年12月11日の朝、UNHCRの避難テントの横で会い、話を伺いました。

・・・

「これからどうすればいいのかわからない・・・。」

・・・

途方に暮れる彼女の虚ろな姿がそこにありました。

聞くと彼女は16歳であるにも関わらず、小学校5年生を終えて以来、教育を受けていませんでした。

シャエラの両親は9年間、毎年子どもをつくり、長女であった彼女は弟妹の世話のために、学校に行く暇もお金もなく、彼女の人生すべてを弟妹のために捧げてきたというのです。

それが今回の台風、皮肉にも両親、家はおろか、自分の人生を犠牲にしてまで育ててきた弟、妹、全てを失ったのです・・・。

彼女に残されたものは16歳であるにもかかわらず、たった「小学5年生まで」という何も助けにならない学歴だけでした。

学校に通っていないため、規模が大きい国際援助機関には目が留まらない存在でした。

・・・

彼女だって、時折笑顔を見せて笑っています。

フィリピン人は強い、たくましいと言っても、シャエラも僕も同じ「人間」・・・。

(自分がシャエラと同じ立場だったら?)

って想像してみました・・・。


何か「黒い穴」のようなものが、心の中にありました。


この「黒い穴」を、一体どうやって埋めることができるんでしょうか・・・。


彼女のために、家をつくれば埋まるのでしょうか・・・。


彼女のために、美味しいものをご馳走すれば埋まるのでしょうか・・・。


彼女のために、ジョークを言えば埋まるのでしょうか・・・。

・・・

表面には表れてこない、この「黒い穴」。

いったいどうやって埋めることができるのでしょうか・・
・。

Joke lang!

(冗談だって!)

フィリピン人がよく使うこの言葉。

とにかく冗談を言うのが好きなんです。

彼らは色々なことを冗談に変えて、日々を楽しく暮らす生き方が本当に上手なんです。

日本だと「笑い」に何かレベルがあるようで、「いや寒っ!」とか笑わかせようとしても周りがこれ言ったらどう反応するだろうって、考えてしまうものです。


しかしここフィリピン。

どんなジョークでもとりあえず言って、ゲラゲラ笑ってます。

ここにフィリピン人の魅力と強さがあるんです。


多くの被害をもたらした今回の台風ヨランダ。


その災害までも、彼らはジョークに変えてしまい、日々を笑って過ごそうとします。


台風による高潮でめちゃくちゃになった家の前に知らない人のサンダルが流れてきていました。

「お~新しいサンダル!これはクリスマスプレゼントだ!!センキューゴッド!!笑」




需要拡大で食べ物も何でも2倍の価格で被災地では売られています。

ふつうだったら怒るでしょう。

彼らも一度は文句を言いますが、そのあと、「ヨランダは私たちがこんな高価なもの買うくらいにリッチにしてくれたわ!笑」って言ってゲラゲラ笑っています。



多くの犠牲者をもたらしたヨランダ。ある少女が言っていました。

「ヨランダは独りぼっちで寂しかったの。だからいっぱい友達が欲しかったの。」




インターネットカフェのおいちゃん。

「パスワードなんですか?」ってきくと、

「YOLANDAS」って。笑

帰りビジネスガードをあげると言って、水に濡れてシワシワの名刺を取り出し、「いや~いい思い出だったよ。笑」って。笑




台風以降、色んなTシャツが被災地で売られています。

なかでも一番人気が

「ヨランダ・サバイバー」

背中には

「I Survived!」笑

(俺は生き残った!)


機嫌よさそうにそのTシャツ着ているおっちゃんに会いました。

日本だったら「津波生存者」みたいなTシャツが出ようもんならめちゃくちゃ非難を浴びるでしょう。



フィリピン、この「何でもあり」な感じが個人的にものすごく好きなんです。


考えられないほどの政治腐敗。

貧困の中を生きざるを得ない一般市民は「いかに今を楽しく生きるか?」ということを災害問わず無意識のうちに考えているようです。だから現実を受け入れ、そこから立ち上がるスピードが早いみたいなんです。

日本では現実に不平不満があるからそれを変えようと経済的発展があったり、イライラしたりするのでしょう。


どちらがいいのかわかりません。


きっとそのバランスが大切なんでしょう。


あれ?何の話かわからなくなってきましたが、自分のどんな境遇でも笑いに変える彼らの生き方に、学ぶべきものがたくさんありました。

フィリピン人は強い。

本当に強い。

被災地タクロバンで彼らと共に生活をし、つくづくそう思いました。

瓦礫と化した町。

腐敗しきった政府。

台風災害から約1ヶ月後、彼らは政府の援助を待たず、復興を自らの手と足で始めようとしていた時でした・・・。


瓦礫と化した街の中で、

瓦礫の中から木材を探し、トタンを探し・・・。

瓦礫が広がるその場所に、自ら小屋を建て始め・・・。

・・・

死体が並べられる道端で、

キャンディーでも塩でも、売れるものはなんでも売ろうと露店を構え・・・。

・・・

泥だらけになったお店の中で、

洗って泥がついたままの商品でも売りに出し、それを平気で買っていき・・・。

瓦礫の山をひっくり返し、使えるものを探し求め・・・。

・・・

彼らの「生きよう」とする姿の前では、全ての言葉が無力に感じてしまいました。

・・・

彼らの中には災害前から教育を受けていない人もいるでしょう・・・。

・・・

「生きる力」とは一体、何なんでしょうか・・・。

フィリピン、タクロバンに着き、マニラからの先発隊と合流し、それから2014年1月17日まで、フィリピンの台風災害復興支援活動に参加してきました。

もちろん12月当時、インターネットがつながる場所がなく、しばらくブログの更新ができませんでした。

タクロバンでの活動を、今このブログに書こうと試みましたが、一体どれから書けばいいのか、まだ整理できていません。

ゆっくり振り返った時にまた書き綴っていこうと思います。

2月6日から再びフィリピンへ戻ります。

今回はちゃんと更新していくよう頑張ります!

明日、マニラから被災地タクロバンへと向かいます。

この一夜明けたらもう明日。

途上国での被災地。

正直、いま怖いです。

なんで行くことを決意してしまったんだろうって、後悔したくなる瞬間も正直あります。

・・・

でも、これが自分の生き方なんでしょう。

・・・

一晩、腹くくりたいとおもいます。
11月3日深夜、無事にフィリピン、マニラに到着しました。


空港に到着すると、お世話になる現地団体の仲間が迎えに来てくれており、車で約1時間、マニラ郊外の本部があるカビテ市へと向かいました。


深夜1時にも限らず、待っていてくれたボランティアの仲間。




その晩、ゴミ山出身の子達と久々のザコネ。


初めてここを訪れた時のこと、それから約4年間の出来事、色んなことが頭をよぎっていき、眠れませんでした。


これから一日一日、頑張りたいと思います。


押忍!










今朝チェンライの安宿を出て、これからフィリピンに向けて出発します。


(思い返せば、初めてフィリピンを訪れてからもう4年近く経つったいね・・・。)


頭のネジを外し、心の感度をマックスに上げ、頑張ってきたいと思います。


それでは行ってきます!!
明日から12月。


2013年もあと1ヶ月。


今年の1月は中米コスタリカで教育実習をしたかと思うと、3月からアメリカで大学院の後期、6月にタイで瞑想修行をしたものの、7月から9月にかけて日本でリバースカルチャーショックに苦しみ、11月からタイ、ラオス、ミャンマーと・・・ちょっと駆け巡りました。


なんか12月と聞くと、しみじみしてしまいます・・・。


が・・・。


フィリピン、ハイエン(台風30号)


・・・


以前活動をともにさせてもらった現地の団体から連絡がありました。


これから計画を中断して災害支援のためフィリピンへ向かいます。


この計画のなさ、自分でも改めて呆れますが、育ててくれたフィリピンに何かちょっとでも恩返し出来ればと思います。


ミャンマーから再びタイへ戻りました。


驚いたことに、タイに入った瞬間、(ああー)と安堵感を抱きました。


(き、きれい・・・。)


日本からタイに来たとき、(おーやっぱ途上国やねー、めちゃくちゃやんコンクリートは剥がれたままやし。ここで一生暮らすとかちょっとできんばい正直。)とか思っていました。


このたび、ミャンマーからタイ。


(うおー超きれいやん!!ああ、息しても砂埃がない・・・。うおーセブンイレブン!!行きてー!ああ・・・最高。)


・・・


人間、「当たり前」という「尺度」がいかに思考や感情をコントロールしているかということを、改めて思い知らされました。
ミャンマーの第2の都市であるマンダレーを散策していたのですが、ホコリやら疲れやらで体調を崩してしまっていました。


日本で一度こけてしまい、塞ぎ込み、悩んでいる青少年のリスタートのところに貢献したいという想い、そして途上国の子どもにも同時に貢献できるようなことをしたいという想いをもち、場所を探そうと出てきました。


実際に来て、当たり前の事実に気がつきました。


貧困地域は大都市周辺にあり、そこはものすごくストレスがたまる「都会」に位置すると。


(ここに思い悩んでいる日本の青少年の子達が来て住むとなったら、さらにストレスをかけて逆効果になってしまうばいこりゃ・・・。)


思い返せばフィリピンのときもそうでした。


マニラ郊外に貧困地域はありました。


バヌアツやコスタリカといった国では大自然に囲まれて、作物がとれる環境であるため、途上国のいわゆる「貧困」というものを肌で感じることはあまりありませんでした。


果たして、自分が指している「途上国」とは一体何なんでしょうか?


大自然の中、モノはないけどシンプルライフの中に幸せがある地域のことを指しているんでしょうか?


日本では当たり前の衣食住がない中、今を生きている人々の生命力に溢れた地域のことを指しているんでしょうか?


それとも頭の中で作り上げた架空の世界だったのでしょうか?


もう一回、根本的なところから考えないといけないみたいです。


(あーくそ。)