まーぶっちゃけ
ジュエリー今一切興味ないんだけどね。
でも必要なジュエリーってそれが似合うとかどうとかってより
ビジュアルを含めたイメージでもって言葉でない認識ができるというか
やっぱりさ
ビジュアルイメージって大きいよね。
と今思ったw
固定観念を持つのは時としてはよろしくないんだけどもさ
固定観念に縛られず、参照として使うのであればそれは軸となるのかなっていう…
昨日から固定観念がどうとかこうとかばっかり考えてるかも。
要は観念に振り回されるのか、観念をただのツールとして使うべきなのか
ていうのが大事なのかも。
観念を主軸にして振り回されてる人が多すぎないか、だって。
一般的にはっていう太宰メソッドも結局それっちゃそれかも。
提示される観念とかデフォルトで作られた考え方とか
それはあくまで最大公約数だったり最小公倍数だったりするんで
そこに含有されない事実とか実情とか当然あるし
実を言えばその余白部分が個性であり、ドラマであり、困難であり、面白さだったりする。
じゃあなんでこういうのを知る必要があるんだとすれば
自分の核に何があるかを認識して、自分をデザインするためじゃないのかと。
数秘も入ってくるからそもそも代えがたいものはあっても、どうしても違うものになりたいならどうすればなりたい別の者に近くなれるのか。
考察の起点にはなるのかもしれないかなとか。
(・∀・)
とか色々書きましたが
ジュエリーをつけることとか持つことには興味がないけど
宝石の写真自体は見るの好きなんで。
綺麗なものはよろしいでありますよね。
店員さんに接客させないでいられるなら、宝石屋さんでずっと見てたいんですけどもね。(お店的に迷惑w